【ロールス・ロイス・ファントム100周年】音楽界のスターたちが愛したファントム

公開 : 2025.08.28 08:05

マレーネ・ディートリヒ

多くの俳優は名声を求めてハリウッドを目指すが、すでにドイツの銀幕において確たる地位を得ていたマレーネ・ディートリヒは、スターとしてその地に降り立った。

ドイツにおける最初期のトーキー映画である『嘆きの天使(The Blue Angel)』でのブレイクを経て、彼女の代表曲となる『フォーリング・イン・ラブ・アゲイン(Falling in Love Again)』を世界に広めた直後、1930年に映画『モロッコ(Morocco)』撮影のためにカリフォルニアへと渡った。

マレーネ・ディートリヒに贈られたグリーンのロールス・ロイス・ファントムI。
マレーネ・ディートリヒに贈られたグリーンのロールス・ロイスファントムI。    ロールス・ロイス

パラマウント・スタジオでの歓迎は、彼女のスクリーンでの存在感さながらにドラマチックなものであったという。彼女への歓迎を表す花束とともに、グリーンのロールス・ロイス・ファントムIが贈られたのだ。ディートリヒは、その『モロッコ』でアカデミー賞にノミネートされ、彼女のファントムもまた、映画のラストシーンや宣伝スチルに登場してスポットライトを浴びたのだった。

エルヴィス・プレスリー

1956年、有望な新人歌手であったエルヴィス・プレスリーが、セルフタイトル・アルバム『エルヴィス・プレスリー登場!(Elvis Presley)』でロックンロール史上初めてのビルボード・チャート首位を獲得し、10週にわたってその座を守った。

1963年に人気絶頂の『キング・オブ・ロックンロール』は、様々なビスポークを施したミッドナイト・ブルーのファントムVを購入した。

エルヴィス・プレスリーが1963年に購入したミッドナイト・ブルーのファントムVは、後にシルバーブルーへと塗り替えられた。
エルヴィス・プレスリーが1963年に購入したミッドナイト・ブルーのファントムVは、後にシルバーブルーへと塗り替えられた。    ロールス・ロイス

その室内には、車内での歌唱を可能とするマイクと初期のカラオケ設備に、後席アームレストに備えられた、ひらめきを書き留めるためのメモ帳、そして常に完璧な姿で人々の前に現れるための鏡や洋服ブラシまでが備えられていた。

この名車に残る心なごむエピソードとして、納車時の仕様であった鏡面仕上げの塗装が、エルヴィスの母親の飼っていたニワトリたちの注意を引き、車体に映る自らの姿をついばませたという話が知られている。後にこのファントムは、キズが目立ちにくい淡いシルバーブルーへと塗り替えられた。

ジョン・レノン

1964年12月、ジョン・レノンはビートルズの『ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)』の成功を祝してファントムVをオーダーした。

ウインドウ、バンパー、ハブキャップにいたるまですべてブラックで仕立てられたこのクルマには、カクテル・キャビネットやテレビ、さらにはトランク内には冷蔵庫まで備え付けられていた。

ジョン・レノンが所有したファントムVの1台は、イエローにスプレー塗装され、ムーブメント『サマー・オブ・ラブ』のアイコンとなった。
ジョン・レノンが所有したファントムVの1台は、イエローにスプレー塗装され、ムーブメント『サマー・オブ・ラブ』のアイコンとなった。    ロールス・ロイス

そして、エルヴィスの愛車と同じく、レノンのファントムもまた後に大胆な変貌を遂げることとなった。1967年5月、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper’s lonely Hearts Club Band)』のリリース直前に、車体はスプレーでイエローに塗り替えられ、その上からレッド、オレンジ、グリーン、ブルーの渦巻き模様と、花柄のサイドパネル、そしてレノンの星座である天秤座のシンボルが手描きで加えられ新たな個性を完成させた。

当時の若者たちにとってレノンのファントムは、その年に起こったムーブメント『サマー・オブ・ラブ』の自由奔放なムードを見事に映し出す存在となる一方、年長者たちには大きな衝撃として受け止められた。レノンのファントムを目にしたある女性が、「ロールス・ロイスにこんな事をするなんて!」と叫び、傘でクルマの塗装を叩いたというエピソードが今に語り継がれている。

このファントムは1985年にオークション出品された際、その価格は229万9000ドル(当時のレートで約5億5000万円)に達し、予定価格の約10倍となった。これは、ロックンロールの記念碑として最も高価なものであり、当時オークションで売却された自動車としても最高価格を記録した。

このファントムがレノンゆかりのロールス・ロイスとして知られる一方、彼はもう1台ファントムを所有していた。1968年の『ホワイト・アルバム』の発表とオノ・ヨーコとの新たな人生の幕開けに合わせ、ホワイトのロールス・ロイス・ファントムVを購入している。このクルマは、パークシャーの自宅を内外ともに眩い白に統一し、徹底したミニマリスト美学を追究した当時のレノンの姿を映し出す1台であった。

このファントムはもともと、第二次世界大戦中にスピットファイアのパイロットを務め、後に専属運転手へと転身した空軍士官パディ・バースロップが、ブラックとグリーンのツートーンカラーで注文したものだった。レノンはこれを当時の自身のスタイル合わせ、大邸宅1軒分に相当する1万2000ポンド(各1200万円)を投じてホワイトに刷新、さらにサンルーフやフィリップス社製ターンテーブル、8トラック・カセットプレーヤー、電話、テレビを備え付けた。

このファントムはその後、ビートルズの映画『レット・イット・ビー(Let It Be)』やミック・ジャガー主演の『パフォーマンス(Performance)』にも登場している。1969年9月に、レノンはこのクルマをABKCOレコード創設者で、当時ビートルズのマネージャーであったアレン・クラインに5万ドル(約1800万円)で売却されたといわれている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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