愛する人を失う悲しみ? デルタ・インテグラーレ・エボとの惜別(2) 最大級の幸福感

公開 : 2025.12.06 17:50

心を掴んで放さないデルタ・エボ 信頼性と希少性で近年は殆ど乗れず 愛車との別れは愛する人を失う悲しみに近い? 人生最大級であろう幸福感 UK編集部の1人が経験したランチアとの惜別

愛する人を失った悲しみに近い?

クルマは、ただのモノだと考える人も多いだろう。心理学者のクリスチャン・ジャレット博士は、冷静に俯瞰する。「生き物の神聖さと比べれば、モノの価値を心理的に軽く捉えることは可能です。しかし、物質的な機能以上の意味を持つことはよくあります」

「大切なモノを奪われると、自身の一部を失ったような喪失感へ至ることは珍しくありません。こうした感情は、クルマでも生まれ得ます。単なるモノだと軽く捉えることは、持ち物へ抱く深い絆を過小評価することにつながります」

ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリ(1992年式/欧州仕様)
ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリ(1992年式/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

最後に、ランチア・デルタとお別れする、筆者の心を整理する方法を尋ねてみた。「愛する人を失った悲しみを乗り越える方法から、ヒントを得てはどうでしょう。写真を整理したり、一緒に旅に出たり、記憶を深める努力も有効ですね」

そこで筆者は、初秋に小旅行へ出発した。ジャッロ・フェラーリのデルタ・インテグラーレ・エボとともに。

何事もなく順番に消えた8つの警告灯

スリムなキーを手にし、集中ドアロックを解除。少し重々しいクランキングを経て、衝動的にエンジンが目覚める。図太い排気音が、ガレージへ響く。少し緊張しながら見つめる、メーターパネルの8つの警告灯は、何事もなく順番に消えた。

グレートブリテン島北部、エジンバラの自宅から少し走ると、筆者お気に入りのルートがある。適度な起伏の丘陵地帯へ、滑らかな路面が続いている。交通量は、例によって少ない。今日のドライブは、筆者とランチア、1対1のサシだ。

ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリ(1992年式/欧州仕様)
ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリ(1992年式/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

緩く膨らんだ四角いボンネット越しに、アスファルトが伸びる。2速、3速、4速と、シフトレバーを優しく倒す。2.0L直列4気筒エンジンは、213psと30.3kg-mの能力を秘めるが、しばらくはとろ火で回す。

人生で最大級であろう幸福感

すべてが温まり右足へ力を込めると、短くないラグを経て、ギャレットT3ターボがブースト圧を高める。車重は約1300kg。33年前のランチアは今でも活発。没入できる。

ステアリングは、感動的なほど漸進的で直感的。サスペンションのストロークには余裕があり、四輪駆動システムが頼もしいトラクションを生み出す。そこへ4気筒ターボのパワーと、シャープでスクエアなフォルムが重なり、固有の特徴が構成される。

ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリと、筆者のリチャード・ウェバー
ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボ・ジャッロ・フェラーリと、筆者のリチャード・ウェバー    マックス・エドレストン(Max Edleston)

カーブの途中に隆起があっても、近年のクルマのように不安定さを滲ませることはない。ヒタヒタと旋回していく。人生で最大級であろう、幸福感へ浸れる。

そして、別れの辛さがチラつく。デルタとの鮮烈な思い出は、数え切れないほどある。イタリア北部、コモ湖の湖畔での初試乗から、毎日の通勤まで、すべてが忘れられない。クルマ好きにとって愛車とは、単なる「モノ」ではない。「経験」だと思う。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ウェバー

    Richard Webber

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

デルタ・インテグラーレ・エボとの惜別の前後関係

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