成功を導いたベビー・フェラーリたち(1) 金字塔的ミドシップ『ディーノ246 GTS』 V6開発の中心にアルフレード
公開 : 2026.03.28 17:45
V6エンジン開発の中心にいた、アルフレード氏と、ピニンファリーナのアイデアを好意的に受け止めた、エンツォ氏。成功を導いた金字塔的ベビー・フェラーリ2台を、UK編集部が振り返ります。
操る者を魅了する246 GTSとF355 GTS
マラネロのブランドにとって、勝利こそ正義。アズーロ(空色)とジャッロ(黄色)に染められた、1974年式ディーノ246 GTSと1996年式フェラーリF355 GTSは、その哲学を体現。成功への序章として、操る者を魅了する。
ミドシップの先駆者となった246の前身、206 GTは、エキゾチック・ブランドとしてフェラーリの革新を牽引した。先進的な技術が公道モデルへ落とし込まれる新時代を、F355は切り拓いた。2台の勝利は、計画通りに導かれたといえる。

206 GTは、フェラーリがモータースポーツを牽引しつつも、経営は苦しく、フィアットとの協力が深まっていた1967年に誕生。V12エンジンのレーシングマシンから上級グランドツアラーが誕生したように、F2向けに生まれたV6ユニットは市販化された。
この中心にいたのは、創業者エンツォ・フェラーリ氏の息子で、ディーノと呼ばれたアルフレード・フェラーリ氏。彼は既に、ワークスチームのスクーデリア・フェラーリで、エンジン開発に携わっていた。
F2からF1へ展開したV6ディーノ・ユニット
技術者として参画したのは、バンク角60度のV12エンジンを生み出したヴィットリオ・ヤーノ氏。エンツォの厳格なこだわりの中で、直線的なインテークマニホールドが65度のバンク内へ収まり、等間隔な点火を叶えた傑作ユニットが誕生している。
ところがアルフレードは、筋ジストロフィーが悪化し、1956年6月にこの世を去る。彼の名を冠したV6ディーノ・ユニットは、1957年からF2マシンのフェラーリ156へ載り活躍し、その死を一層悲劇的なものにした。

1958年には2.4Lへ排気量が増やされ、戦績は振るわなかったが、F1マシンの246にも登用。その後、1967年のF2シリーズでは参戦規定として500基の生産が求められ、量産車への採用が具体化していった。
かくして、フェラーリ買収へ動いていたフィアットの上級スポーツ、1966年のフィアット・ディーノで公道デビュー。他方、ディーノ206 GTの納車は1967年に始まり、ターゲット層を拡大できる価格が与えられ、年に数1000台という生産目標が掲げられた。
206のアイデアを好意的に受け止めたエンツォ
V12エンジン以外のフェラーリを否定していたといわれるエンツォだが、彼もベビー・フェラーリの構想には向き合っていた。1959年にはフィアット1100をベースに、V12エンジンを4気筒へ詰めた、854ccのプロトタイプを製作している。
これは1964年に、ASA 1000GTとして100台が生産されていた。翌年にピニンファリーナ社が提案した206 GTスペチアーレを、エンツォは好意的に受け止めたという。

206 GTのノーズは低く、タイトなコクピットへドラマチックに結ばれるラインは、強い心象を生んだ。主任デザイナーを務めたのは、アルド・ブロヴァローネ氏。カーブを描いたリアガラスの両端を伸ばし、滑らかに傾斜するバットレスが創出されている。
シャープにえぐられたエアインテークは、若きレオナルド・フィオラヴァンティ氏による仕事だろう。1966年の試作では、ヘッドライトがフェンダーへ移動。翌年にホイールベースが60mm短縮され、ルーフラインも変わり、空気抵抗のCd値は0.36へ削られた。
画像 成功を導いたベビー ディーノ246 GTSとフェラーリF355 GTS 206 GTと308 GTSも 全124枚






























































































































