『F1世界選手権イン・ジャパン1976』決勝フルグリッドを1/43のミニカーで再現!【長尾循の古今東西モデルカーよもやま話:第20回】
公開 : 2026.06.24 12:05
元モデル・カーズおよびカー・マガジン編集長である長尾循による、古今東西モデルカーに関する月イチのコラムです。第20回は、『F1世界選手権イン・ジャパン1976』決勝フルグリッドを1/43のミニカーで再現、という話です。
1976年に開催された日本初のF1レース
日本モータースポーツ史上初のF1レースが開催されたのは、今を遡ること半世紀前の1976年です。
常識的に考えればそのイベントタイトルは『1976 Japanese Grand Prix』となって然るべきですが、日本でのF1初開催が決定した時点で、既にその年11月に開催される全日本F2000選手権の最終戦が『日本グランプリ』の名称に決まっていました。

そのため正式名称が『F1世界選手権イン・ジャパン1976』という変則的なものとされたことは、モータースポーツファンの間ではよく知られたエピソードでしょう。
ちょうど当時の我が国においては、週刊少年ジャンプに連載された漫画『サーキットの狼』が起爆剤となったスーパーカーブームの真っ只中。『サーキットの狼』以外にも実在のスポーツカーやレースを題材とした類似の漫画が数多く登場し、再びモータースポーツに対する注目が高まっていた時期でもありました。
昨今ではモータースポーツに限らず、野球やサッカーといった他のスポーツでも世界と日本の実力は伯仲していますが、かつては現在とは比較にならないほど彼我の差は大きかったと思います。
それまではF1レースといえば、自動車雑誌などからひと月遅れで情報を得るというのが当たり前の時代。『世界最高峰の自動車レース』は、遥か遠くの異国で開催されるおとぎ話のような世界でした。
ニキ・ラウダとジェームス・ハントがチャンピオン争い
そんなF1レースがついに日本で開催されることとなったのです。しかも1976年シーズンの最終戦として。
レース直前の時点でドライバーズポイントは拮抗し、フェラーリのニキ・ラウダとマクラーレンのジェームス・ハント、チャンピオン争いはこのふたりに絞られていました。

最終戦までもつれたチャンピオン争いの行方はもちろん、長谷見昌弘、星野一義、高原敬武ら日本人レーサーの参戦、史上初の6輪のF1マシンとして大きな注目を集めたタイレルP34など、多くの話題と共に開催された『F1世界選手権イン・ジャパン1976』。
決勝レースは生憎の大雨でしたが、その結果はそれまでの長い低迷期を脱したロータスが、マリオ・アンドレッティの駆る77によって久しぶりの優勝。鬼神の走りを見せたパトリック・デパイエの『6輪タイレル』が2位、そしてマクラーレンM23のジェームス・ハントが3位に入賞し、ポイント数でフェラーリのラウダを上回り年間王者となり、シーズンの幕を閉じました。
こうした幾多のエピソードと共に日本で初めて開催されたF1レースは、今なお多くのモータースポーツファンによって語り継がれる、忘れられない1戦となったのです。






























