初代『日産ムラーノ』はどんなクルマだった? クロスオーバーSUV市場のリーダー、トヨタ・ハリアーのライバルとして登場

公開 : 2026.06.18 12:05

米国製乗用車の認定制度を活用して、米国で生産された『日産ムラーノ』が日本市場に導入されました。日本市場では約11年ぶりにムラーノが販売されます。そこで、初代ムラーノとはどんなクルマだったか? 篠原政明が振ります。

2002年に北米市場向けのSUVとして発売

この度、米国製乗用車の認定制度を活用して、米国で生産された『日産ムラーノ』が日本市場に導入されることになった。日本市場では2015年に2代目が生産終了したときに販売が終了しているので、ほぼ11年ぶりに日本で販売されることになる。

では、初代ムラーノとはどんなクルマだったのか? 改めて振り返ってみよう。

まずは2002年に北米市場向けのSUVとして発売された日産ムラーノ。
まずは2002年に北米市場向けのSUVとして発売された日産ムラーノ。    日産自動車

初代ムラーノは2002年、北米市場向けのSUVとして発売され、月販500〜600台、2004年の日本デビューまでに約8万台を販売する人気モデルとなっていた。日本では2003年の東京モーターショーに北米仕様が参考出品されたところ話題を呼び、日本での販売を求める声が高まった。

その要望に応えて日本で発売されたのが、2004年9月。ほぼ同時期に、パリ・モーターショーで欧州仕様が発表され、ムラーノはワールドワイドなモデルとなった。

トヨタハリアーをライバル視

日本では『30歳前後の既婚男性をターゲットカスタマーにした高級クロスオーバーSUV』と謳われた。これはつまり、当時の日本のクロスオーバーSUV市場をリードしていた、トヨタ・ハリアーをライバル視しての登場といえるだろう。

クロスオーバーSUVというジャンルは、このころから使われ出した。クロスカントリー4WDとも、コンベンショナルなSUV(スポーツユーティリティビークル)とも違う、スタイリッシュな外観に乗用車的な乗り心地で、ビジネスやフォーマルにも使える、まさにSUVと乗用車の要素をクロスオーバーさせたクルマということになるだろう。

当時の日本クロスオーバーSUV市場をリードしていた、トヨタ・ハリアーをライバル視して登場。
当時の日本クロスオーバーSUV市場をリードしていた、トヨタ・ハリアーをライバル視して登場。    日産自動車

実際、21世紀の4分の1が過ぎた現在では、このクロスオーバーSUVがSUVマーケットの中核となっていると言えるほどだ。

当時の日本市場では堂々たるサイズ

初代ムラーノのサイズは、全長4770mm、全幅1880mm、全高1685mm、ホイールベース2825mm。4代目となる新型ムラーノよりはひとまわり小さいが、当時の日本市場では堂々たるサイズだった。曲線や曲面をうまく使ったボディスタイルはなかなか斬新で、このデザインテイストは4代目まで継承されているように思える。

当時としては大径の18インチホイール、アメリカンな雰囲気のフロントグリル、張り出したフェンダー、前後バンパー下のガーニッシュなど、ディテールも特徴的だった。

初代ムラーノは、当時の日本市場では堂々たるサイズだった。
初代ムラーノは、当時の日本市場では堂々たるサイズだった。    日産自動車

インテリアはインパネ上面を楕円状にして開放感を高め、メーターパネルやセンターコンソールに本アルミを、ステアリングホイールやシートには本革を採用するなど本物の質感を訴求していた。ラゲッジルームはリアシート使用時で480L、リアシートバックを全倒すれば最大880Lの容量を確保していた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事