自分の「ランボルギーニ」作ろう モンテヴェルディ・ハイスピード 375L(1) 思春期憧れの1台へ
公開 : 2025.09.28 17:45
17歳でスポーツカーを自作したペーター フェラーリとの不和で「ランボ」製作を決断 7.2L V8で375ps 息が詰まるほどの美貌に開放的なキャビン 思春期に憧れたUK編集部が希少GTを体験
17歳で小さなスポーツカーを自作
自分が思春期に憧れていた1台、モンテヴェルディ・ハイスピード 375Lで夢見心地のドライブを想像していた。しかし、グレートブリテン島の田舎道は幅が狭い。V8エンジンの排気量は7.2Lもある。興奮と不安が同時にのしかかり、現実へ引き戻される。
夢ははかない。自分が勝手に心へ描いた、肯定的なイメージに過ぎない。ボディは素晴らしくエレガント。ケタ違いの希少性が、特有の威厳を滲ませる。

ペーター・モンテヴェルディ氏は人並み外れた行動力の持ち主だったが、晩年は激昂する姿が強い印象を残した。社交的で温厚な人物だったと、往年を振り返る人もいる。少なくとも、スイスの自動車産業を支えた1人であることは間違いない。
1934年にスイス北部のバーゼルで生まれた彼は、トラックを中心に扱う小さなガレージを営む父から、大きな影響を受けた。学校に通いつつ、放課後はトラック工場でアルバイト。17歳で、フィアット1100がベースの小さなスポーツカーを自作している。
ポルシェ・エンジンのF1マシンを製作
23歳で父から経営を継ぐが、トラックの修理からスポーツカーのチューニングへ、事業は徐々にシフト。順調に規模は拡大し、バーゼルのオーバーヴィラー通りにMBM(モンテヴェルディ・バーゼル・モーターズ)社を創業し、独自モデルの生産を始める。
恐らく、MBMで最も有名な1台はトゥーリズモだろう。ボックスセクション・シャシーにフォード由来の997ccエンジンを積み、英国のヘロン・プラスティック社製ボディを搭載した、初代ロータス・エリート似の2シーターだ。

MBMは、スイス初といっていい、ポルシェ・エンジンを積んだF1マシンも製作している。グランプリへの参戦は1961年のみで、ポイントは得ていないが。ちなみに1990年にも1度、モンテヴェルディ・オニクスの名でF1へ復帰している。
ドライバーとしての技術も低くはなかったが、1961年にドイツ・ホッケンハイムでクラッシュ。大きな怪我をしたことで、ランチアとBMWを扱うディーラー業へ専念することを、一度は決意したようだ。
自分の「ランボルギーニ」を作ろう
そこから、高級グランドツアラーを作ろうと考えた経緯は、ペーター自身や関係者が口にした物語へ依存している。1954年にフェラーリを購入した彼は、部品を入手するため何度もイタリアへ向かった。その流れで、正規ディーラーとして承認されたらしい。
しかし、関係はすぐに悪化した。取引を続けるには100台を前払いで購入する必要があると、通告を受けたという。これを聞いたペーターは憤慨し、自分の「ランボルギーニ」を作ろうと決めたのだとか。かくして、フェラーリのライバルになった。

真実は定かではない。時系列も整合性が怪しい。とはいえ、モンテヴェルディ・ハイスピード 375Sは1967年のドイツ・フランクフルト・モーターショーで発表される。
スタイリングは、自身によるものだとペーターは主張したが、これを知ったピエトロ・フルア氏は納得しなかっただろう。彼のカロッツェリア、フルア社が実際には関わっていたのだから。後に両社は揉め、フィッソーレ社のボディへ置き換えられている。






















































































































































