ピアニスト長谷川琴美が聴いた、マセラティの美しい走り(後編)グランカブリオは、ベルカントだった
公開 : 2026.08.12 11:50
クルマを愛するピアニストのKOTOMIこと長谷川琴美が、初めてマセラティ グランカブリオのステアリングを握りました。イタリア文化にも精通する音楽家から見たラグジュアリーモデルの魅力を、前後編に渡って紹介します。
グランドピアノを弾いている感覚
音楽家として最も興味深かったのは、音の位置である。
フェラーリやランボルギーニのようなスーパーカーの多くは、ミドシップレイアウトを採用している。一方、このグランカブリオはフロントミドシップ。エンジンの気配が、自分の前方から立ち上がってくる。

その感覚は、グランドピアノを弾いているときによく似ていた。
ピアニストは、自分の前方にある巨大な響板から生まれる響きを、指先でコントロールしながら聴いている。音は前方から立ち上がり、やがて自分を包み込んでいく。ただ聴いているのではなく、自分の身体の動きと音がつながっているような感覚があるのだ。
グランカブリオにも、それとよく似た一体感があった。
V6エンジンを積みながらも、その響きは驚くほどに角がなく、耳当たりが柔らかい。力強さはあっても、音の輪郭はどこまでもなめらかだった。
始まりは、確かな存在感をもったスフォルツァンド。そのあとには、甘く伸びやかな旋律が続いていく。
スフォルツァンドで始まる曲といえば、ベートーヴェンの『交響曲第7番』だろうか。そんなことを考えているうちに、気づけばその旋律が頭の中で流れていた。
クルマの音を聴いているはずなのに、どこか楽器と向き合っているような感覚があった。
ウィンカーは『ラ』と『ミ』
もうひとつ印象的だったのは、ウィンカーの音である。
最近の車は電子音のものが多く、ノック音やウッドブロックのような、打楽器的な音色を採用しているモデルも多い。ところが、この車のウィンカー音には明確な音程があった。

『ラ』と『ミ』。
耳に届いた瞬間、思わず意識が向いた。
音楽家の職業病かもしれないが、その2音を聴いて私の頭に浮かんだのは、ディズニーアニメ版『アラジン』冒頭の音楽だった。
その音をきっかけに、私はこの車にどこかエキゾチックな気配を感じるようになった。
深みのあるボディカラー、品のあるインテリア、そして音。どれも派手に主張するのではなく、静かに艶をまとっている。その控えめな色気が、グランカブリオという車の印象をより強くしていた。
美しさを極限まで引き出した品格
私は以前から、イタリア車にもそれぞれ音楽的な個性があると感じている。
たとえばフェラーリは、私にとってロッシーニの音楽を思わせる。ロッシーニといえば、劇場を一気に熱狂へ導くような、圧倒的なエネルギーをもつ作曲家だ。

『ウィリアム・テル序曲』に象徴される、明るく華やかで、躍動感のある音楽。そして『ロッシーニ・クレッシェンド』とも称される、聴く人の気持ちを一気に高揚させていく力。
フェラーリにも、同じような高揚感がある。アクセルを踏めば踏むほど、感情まで一緒に加速していくような華やかさをもつクルマである。
一方、マセラティはベッリーニである。
ベッリーニは、ベルカント・オペラを代表する作曲家であり、ショパンやリストが羨望したほど、美しい旋律を書く天才だった。
私自身、音楽大学在学中の副科声楽で、ベッリーニの『Vaga luna, che inargenti(優雅な月よ)』を学んだことがある。今でも好きな歌曲のひとつで、運転しているときにふと口ずさんでしまうこともある。
ベッリーニの音楽は、決して派手ではない。けれど、一音一音が息の長いフレーズを描きながら、どこまでも自然に流れていく。人間の声の美しさを、極限まで引き出したような品格がある。
グランカブリオにも、それとよく似た印象を受けた。速さを誇示するのではなく、美しく走ることを知っているクルマ。力で圧倒するのではなく、余韻で魅せるクルマ。スペックだけでは語り尽くせない気品が、この一台にはある。


















