【連載:清水草一の自動車ラスト・ロマン】#39 カッコよければすべて善し!初代日産ガゼール

公開 : 2026.08.21 12:05

パワーではなくカッコが欲しかった!

しかもシルビアは比較的安かった(130万円くらい)。なにせベースはサニーだったので。

私は、父の機嫌のよさそうなタイミングを見計らってねだってみた。

初代ガゼールというと、このトランザムみたいな派手なボンネットデカールが思い浮かびますが、こんなガゼールは『西部警察』でしか見たことがありません。もちろん筆者のガゼールも無地(白)でした!
初代ガゼールというと、このトランザムみたいな派手なボンネットデカールが思い浮かびますが、こんなガゼールは『西部警察』でしか見たことがありません。もちろん筆者のガゼールも無地(白)でした!    日産自動車

「お父さん、このクルマどうかな。俺の貯金全部出すから……」

当時の私の貯金など20万円くらいしかなかったが、精一杯の誠意を見せる作戦だった。

狙い通り、話はトントン拍子に進んだ。ちょうど当時、父も自動車免許を取り直したばかりで(一度うっかりで失効)、クルマ熱が高まっていたのだろう。

父「じゃ、ローレル(母の愛車)を買った店で売ってるほう(3代目シルビアの姉妹車、初代ガゼール)にしなさい」

エンジンは2.0と1.8の2種類あったが、安いほうの1.8(5MT)クーペに決定。私はパワーではなくカッコが欲しかったので、1.8で十分だった。最高出力を見ても、1.8が115馬力、2.0は120馬力で大差なかった。

その後シルビア/ガゼールには、1.8ターボや2.0DOHC(RS)が登場したが、その時点ではまだ影も形もなかった。

1980年当時の国産車は、2リッターで130馬力くらいが上限。出たばかりのスカGターボ(2リッター直6ターボ)でも145馬力。3ナンバーや輸入車なんて、雲の上すぎて視界にも入らない。一億総中流の平等な時代だったのである。

(つづく/隔週金曜日掲載、次回は9月4日金曜日公開予定です)

記事に関わった人々

  • 執筆

    清水草一

    Souichi Shimizu

    1962年生まれ。慶応義塾大学卒業後、集英社で編集者して活躍した後、フリーランスのモータージャーナリストに。フェラーリの魅力を広めるべく『大乗フェラーリ教開祖』としても活動し、中古フェラーリを10台以上乗り継いでいる。多くの輸入中古車も乗り継ぎ、現在はプジョー508を所有する。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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