サイレン鳴らせば一層速い? ポンティアック・メンフィアン救急車(2) 豪華な内装に活発な加速 救命機材は実質ゼロ

公開 : 2026.09.26 17:50

商用バンや小型トラックがベース車両へ

コンバージョン市場は、1960年代半ばに帰路へ立たされた。新たに提供され始めた、車載用の医療機器に耐えうる強固なフレームが必要だった。救急車として、更に特化したカタチが求められていた。

病院までの移動中に、適切な処理をすれば救える命が増えることは明白だった。1970年代初頭には、商用バンや小型トラックをベースにした救急車の仕様が策定され、1980年代に入る前に、ステーションワゴンなどをベースにした救急車は生産が終わった。

ポンティアック・メンフィアン救急車(1955年式/北米仕様)
ポンティアック・メンフィアン救急車(1955年式/北米仕様)    パヴェル・リトウィンスキ(Pawel Litwinski)

アメリカのメーカーが、フルサイズ・モデルの展開を縮小したことも、コンバージョン救急車が衰退する一因になった。田舎の小さな町では、しばらく活躍し続けたが。

重要な役割を果たしたメンフィス・コーチ社

今となっては愛らしい見た目の、ポンティアック・メンフィアン。当時の救急車は、ストレッチャーを積めるだけの、大きな公共タクシーに過ぎなかったことが理解できる。酸素ボンベを載せた例もあったが、救命機材はゼロに等しかった。

運転手が提供できたことといえば、絆創膏を貼ったり、励ましの言葉をかける程度。組織的な救急体制はなく、緊急電話「911」の運用は1968年にようやく始まった。

ポンティアック・メンフィアン救急車(1955年式/北米仕様)
ポンティアック・メンフィアン救急車(1955年式/北米仕様)    パヴェル・リトウィンスキ(Pawel Litwinski)

そんな環境で、メンフィス・コーチ社は重要な役割を果たしていたといえる。進行方向の道を開けるべく、凄まじい音量のサイレンを与えて。

1950年代のアメリカでは、救急車は管轄の警察署や消防署が走らせていたが、地元の葬儀社が副業として担当していた町もあった。搬送中に大事があったら、そのまま本業に移行する必要があったかもしれないが……。

撮影:パヴェル・リトウィンスキ(Pawel Litwinski)

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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