GRスープラの起源がここに トヨタ・セリカXX 2000GT(A60)前編 「あの形」の背景

公開 : 2019.10.19 05:50

トヨタ・セリカXXを題材に、周辺の歴史を振り返ります。のちに明らかになった英国との接点、当時の設計者が見据えた「未来」が、クルマをよく観察することで浮き上がってきました。懐かしくご覧いただけるでしょう。

もくじ

トヨタ・セリカをもっと速く、ハイソに
2代目トヨタ・セリカ、英国の薫り
懐かしい、約40年前の近未来

トヨタ・セリカをもっと速く、ハイソに

text:Takuo Yoshida(吉田拓生)
photo:Satoshi Kamimura(神村 聖)

21世紀の現在では事情が違うのかもしれないが、20世紀の終わり頃の男子は皆、好きなプロ野球チームや自動車メーカーがはっきりしていた。

それは裏を返せば、各々がちゃんとした個性を発揮していたことの証明なのだと思う。

これはセリカXXではなく、スープラの名を与えられていた北米仕様のプレス写真。厚みのあるタイヤは現代では乗用車的に見える60扁平だが、当時はスポーティタイヤのプロファイルだった。
これはセリカXXではなく、スープラの名を与えられていた北米仕様のプレス写真。厚みのあるタイヤは現代では乗用車的に見える60扁平だが、当時はスポーティタイヤのプロファイルだった。

国産車では各メーカーが今よりはるかにライバル心をむき出しにして覇を争っていた。それも今どきのような販売台数やエコといった経済的な話ではない。セダンやスポーツモデルを問わず次々と新技術を盛り込み、派生モデルが誕生させ、スケール感のようなものを競い合っていたのである。

4気筒のセリカに直列6気筒エンジンを搭載し、今日のGRスープラへと続く新カテゴリーを創出したセリカXX(ダブルエックス)。

このクルマがトヨタのスポーツ、ラグジュアリークーペ史に残した功績は計り知れない。

初代のセリカXXは、2代目セリカ(A40)をベースとして1978年に登場している。直6SOHC(シングルカム)エンジンを搭載するため、ホイールベースとエンジンルームを延長、フロントマスクも専用のデザインが採用されている。

日産のフェアレディZの対抗馬として登場したセリカXXの北米市場におけるネーミングこそが「スープラ」だったのである。

2代目トヨタ・セリカ、英国の薫り

初代の登場からわずか3年ほどで、セリカXXは2代目へとフルモデルチェンジされている。

2代目(A60型)のスタイリングは全体にウェッジが効いた平面で構成され、ヘッドランプは「80年代スポーツカーといえば!」のリトラクタブルになっている。

イギリスナンバーを掲げ、ブランズハッチ・サーキットの1コーナーをバックに撮った1枚。いかにもロータスの関与が伺える。
イギリスナンバーを掲げ、ブランズハッチ・サーキットの1コーナーをバックに撮った1枚。いかにもロータスの関与が伺える。

トップモデルのセリカXX 2800GTには、ソアラ譲りの2.8Lの直6DOHC(ツインカム)エンジン(5M-GEU)が搭載されていた。

一方今回スポットを当てるベーシックな2Lモデルにも直6 DOHC 4バルブの高性能なパワーユニットが搭載される。その名も2000GTというトヨタ・スポーツカーの伝説的なネームを与えられていた。

2代目セリカXXの誕生当時、このクルマのテレビCMには、ロータスの創始者であるコーリン・チャプマンが登場していた。それも「F1の神と呼ばれる男」という肩書で。

そのテレビCMでは2台のセリカXXが富士スピードウェイで派手にドリフトしたりして、FRならではの運動性能をアピールしていた。

他のCMではロータスのテストコースを走るシーンもあったのに、セリカXXの開発にロータスが関わったという説明は一切なし。

クルマ好きたちは「なぜ?」と思わずにはいられなかったのである。

しかもA60型セリカのスタイリングが、1975年に登場していたロータスの2+2クーペであるエクラにそっくりというのも、噂に信憑性を与えていたのだった。

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