【小さなロールス・ロイスが目標】トライアンフがベースのパンサー・リオ 前編

公開 : 2020.05.03 07:20  更新 : 2020.12.08 11:05

ロールス・ロイスに迫る高価格

ロールス・ロイス・シルバーシャドウを買うには、さらに7000ポンド(94万円)を用意する必要はあった。だが、ドリンク・キャビネットに冷蔵庫、テレビ、レザー張りの天井なども選べ、フル装備としたリオの価格は、ロールス・ロイスに迫った。

クルマの仕上げは、ある程度価格を正当化できるものだった。実際、1975年のロンドン・モーターショーでは、コーチビルド・モデルでシルバーメダルを獲得している。

パンサー・リオ(1975年−1976年)
パンサー・リオ(1975年−1976年)

ボディの見た目も、リオならではのものを獲得していた。エイボン製のタイヤに組み合わされたのは、専用デザインのアルミホイール。ステアリングはレザー巻き。4面ともにパワーウインドウが奢られた。

スモークガラスに荷室用ライト、内側から調整ができるドアミラーも備わる。レディオモビル製のカーラジオと、慣性リール式のシートベルトは標準装備。ドア毎に用意された灰皿は、パンサーのトレードマークでもあった、ライターが内蔵されているタイプだ。

マニュアル・トランスミッションにはオーバードライブが付き、16バルブのリオの最高速度は175km/hに届いた。0-96km/h加速は9.7秒。

ただし、113kg軽量だったトライアンフ・ドロマイト・スプリントの方が、最高速度は4km/hほど高い。96km/hへも、2秒は短く到達できた。

市場の反応は冷静で、ニッチモデル以上のクルマだとは見られなかった。当時のパンサーは、ジャガーをベースにしたJ72を毎月6台、デビルを1台生産していたが、リオは月産4台に留まった。

新車のドロマイトを分解し作り変え

工場があったのはロンドン郊外のバイフリート。約100名という力強い人員体制があった。塗装から内装トリム、ボディパネルの成形やガラスの加工まで、分業化された職人による集団だ。

創業者のジャンケルは、フルサイズの形状模型を細いワイヤーで制作。ドロマイトより114mm長い全長を設定した。その多くはリアシート周りに充てられ、ルーフラインは若干低められた。

パンサー・リオ(1975年−1976年)
パンサー・リオ(1975年−1976年)

パンサーは、できたてホヤホヤのドロマイトをトライアンフから購入。路上走行可能なクルマのスチール製ボディパネルを、ルーフも含めて取り外した。

内側の構造パネル、バルクヘッドが露出するまで裸にされたドロマイトは、手作業で整形されたアルミニウム・パネルで置き換えられた。部分的には、マシンプレスも用いられていたようだ。

ピッタリと揃ったボディパネルと、深い艶を持つ塗装は、ジャガーベースのパンサーと同じ高水準。トップコートは手で磨き込まれていたという。

それでも、販売が勢いに乗ることはなかった。より多くの生産台数を求めたジャンケルの意識は、ボクソール(オペル)をベースとしたリマへと移っていった。

当初、リオは英国の高級車ディーラー、HRオーウェンからの100台の注文を受けたが、最終的に契約は不成立。クルマが上昇気流を掴むことはなかった。

この続きは後編にて。

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