【英国に変化を与えた懐かしの日本車6台】ダイハツ・コンパーノ800/トヨタ・コロナ(T40型)/ホンダS800 前編

公開 : 2020.05.23 11:50  更新 : 2020.12.08 11:04

1960年より以前、英国ではほとんど存在感のなかった日本車。そんな立場を大きく変えるきっかけとなった、開拓者といえる創成期のモデルを一挙に6台、試乗しました。前半はコンパーノとコロナ、S800をご紹介します。

英国一番乗りはダイハツ・コンパーノ

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1964年、英国の自動車ディーラー、デュファイ・モータースがダイハツ製モデルの販売を始めた。それは、英国での自動車革命の始まりを、静かに宣言するものだった。

その頃、日本の自動車産業全体で1年間に生産していたクルマの数は、170万2496台に達していた。それでも、ツイード製のジャケットを着ていたような英国人は、ダイハツ・コンパーノ800を珍しい存在として受け止めた。

ダイハツ・コンパーノ800(1965年−1970年)
ダイハツ・コンパーノ800(1965年−1970年)

ダイハツが英国にやって来てから11年後、日出ずる国、日本で生産された自動車は英国でも大きな成功を掴む。英国の自動車製造販売協会が、日本からの輸入車に対する規制を申し出るほど。

英国へ大きな変化をもたらした日本車だが、先駆的な開拓者を取り上げるなら、やはりダイハツ・コンパーノが適している。1965年に初めて正規輸入されたモデルだ。ナンバーは CGH 8B。

当時の自動車評論家は、「良くできているが、技術的には高度ではない」とコンパーノを評価していた。もっとも、当時のボクソール・ビバHAも、決して最先端と呼べる技術は積んでいなかった。

強い向かい風の中では、1.6kmの直線があっても、96km/hに届かないと批判した。確かにそうかも知れないが、高速道路の移動ではなく、垢抜けたシティカーとしてコンパーノは訴求力があったと思う。

英国へ初めて上陸したこのブルーの日本車は、英国ソリハルのインターナショナル・モータース本社が今は保有している。管理するスティーブ・アードリーは、運転がとても簡単だと認める。特にコラム4速のデキが良いらしい。

当初輸入されたのはわずかに8台

コンパーノが登場したのは1963年。少し古いフィアット風のスタイリングを持つボディが、セパレートシャシーに載っている。800ccのモデルは1970年まで製造が続いた。

第二次世界大戦が終了してから20年ほどは、日本車の海外での販売は難しい状況にあった。しかもコンパーノの当時の英国価格は、799ポンド。フォード・アングリア123Eよりも高価だった。

ダイハツ・コンパーノ800(1965年−1970年)
ダイハツ・コンパーノ800(1965年−1970年)

そのかわり標準装備は充実していた。好印象な見た目だけでなく、フォグライトやバックライト、ラジオにホワイトウォール・タイヤなどを、ディーラーは強みとして売りに出した。

アードリーは、英国での販売体制が妥当だったのなら、英国でも成功できたと考えている。「デュファイ・モータースが当初英国に輸入したのは8台だけ。メーカーへのクルマの代金は、実際に売れるまで求められませんでした」

「ダイハツの本社は、クルマの代金を肩代わりしたことに、ディーラーは感謝していると考えていました。しかしクルマが売れてからも、大阪のダイハツへはお金が入らなかったようです」

CGH 8Bのコンパーノを見ると、機会を失った寂しさを漂わせているようだ。同時に、未来の予兆も感じさせる。

小さなダイハツに続いて、英国人へアプローチしてきた日本の自動車メーカーは、トヨタだった。1965年のロンドン・モーターショーへ、4台のモデルを持ち込んだ。1966年までに、毎月150台から200台の販売が目指された。

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