【ストレート6の味わい】BMW 635CSi ジャガーXJ-S 3.6 ビッターSC 3種のビッグクーペ 前編

公開 : 2020.12.05 07:25  更新 : 2020.12.08 00:18

ビッククーペに戦うチャンスを与えた直6

XJ-Sの転機は、1983年に登場した3.6LのAJ6エンジン版。スポーティな6気筒モデルとして、BMW 6シリーズの正当なライバルを名乗れるようになった。

ゲトラグ社製の5速MTが標準装備。XJ-S 3.6は228psの最高出力を獲得し、最高速度以外では5.3LのXJ-Sに引けを取らない動的性能を持っていた。燃費は7.1km/Lと、期待ほどではなかった。

ジャガーXJ-S 3.6(1982〜1991年)
ジャガーXJ-S 3.6(1982〜1991年)

サスペンションは引き締められ、ステアリングの感触は磨かれた。インテリアは、ウォールナットのウッドパネルで飾られた。ジャガー製ビッククーペに戦うチャンスを与えるには、充分そうに見えた。

それでもXJ-Sの産台数は伸び悩み、述べで11万台。通算21年もの生産期間があったのだが。

こんな2台の傍らで、レーシングドライバーだったドイツ人、エーリヒ・ビッターも2ドアクーペにチャンスを見ていた。1970年代後半まで、オペル・ディプロマートをベースとするバウアー製ボディのビッターCDクーペを生産し、控えめな成功を収めていた。

ビッターは、オペル・セネターをベースとする、新モデルの可能性を探っていた。オペルは、BMWやメルセデス・ベンツといった上級モデルの基準に真剣に挑んでいた。

イタリアン・デザインの、エキゾチックモデルのアイデアを温めていたビッター。ボディは手打ちではなく、ドイツ品質を前提にプレス機へ250万ポンドの大金を注ぎ込み、正確なプレス成形を目指した。

ミケロッティやGMのデザイン部門の支援を得ながら、SCクーペのスタイリングを描いたのは、ビッター本人。バウアー社も、量産へ向けて力を貸した。

わずか462台のみの生産に終わったSC

量産にこぎつけたビッダーSCは、79台分の初期ロットのボディを、イタリアのカロッツエリア・オクラが担当。残りは、カロッツエリア・マッジョーレが製造している。

塗装と内装がイタリアで仕上げられたのち、ボディシェルはドイツ・シュヴェルムのビッダー社へ搬送。そこでオペル・モンツァ用の3Lドライブトレインと、サスペンション、ブレーキが組まれた。

ビッターSC(1981〜1989年)
ビッターSC(1981〜1989年)

生産台数は、当初は1週間で1台というスローペース。ポルシェのチューニングを手掛けていたマンツェル社による3848cc 3.9Lエンジンを、1984年に採用。213psへパワーアップし、生産スピードも加速。年間販売目標を400台に増やした。

ビッダーは、ジャガーやBMWのライバル関係にはならなかった。実際、1980年が終わるまでに売れたビッターSCは、462台。イメージが明確ではないエキゾチック・クーペは、売れなかった。

北米でビュイック・ブランドでの販売計画が軌道に乗れば、ビッダーSCの結末は違っていただろう。22台だけ作られたコンバーチブルと、5台だけが作られた4ドアサルーンも台数を稼ぎ、モデル構成は広がっていたはず。

英国に来たSCは、26台。ダミアン・オブライエンが所有するSC 3.9も、その1台だ。2018年に購入し、メルセデス・ベンツを専門とするエドワード・ホールの手によって、重点的な修復を受けている。

製造番号は334で、1985年に英国で登録されている。最初のオーナーは、金融関係の仕事をしていた人物で、ロンドンの地下駐車場に保管していた。アメリカにも、SCのコンバーチブルとサルーンを所有していたという。

この続きは後編にて。

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