サンビーム 3リッター・スーパースポーツ 初代オーナーは地上最速の男 後編

公開 : 2021.11.13 07:06

フォードのV8エンジンで40年を過ごす

3リッター・スーパースポーツの白いダッシュボードの後ろに、ドライバーは高く座る。長いボンネットを見下ろせば、当時の様子が自ずと浮かんでくる。サンビームの新しいスポーツカーは、アメリカで大きな反響を呼んだ。

エキゾチック・モデルとして、ウッドは12年間、ミシガン州の自宅で大切にした。英国生まれのスポーツカーが、2人目の速度記録保持者にも所有され、パワーボートの発祥の地にあったという事実は価値を高める過去といえる。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

ウッドは1938年10月、セグレイブのスーパースポーツをカナダ・オンタリオ州の自動車愛好家、メジャー・グリーニング氏へ売却する。その時に取引された金額は、僅か100ドルだったらしい。

カナダの冬は厳しく、ツインカムエンジンは損傷。グリーニングは彼の整備士へ、サンビームを譲り渡す。それから40年間、有名なボディの内側にはフォード社製のフラットヘッドV8エンジンが載せられていたそうだ。

幸いだったのは、シャシーはほぼ手つかずだったこと。その後、ブリトン・キャメロン・ミラー氏にサンビームは救われる。サンビームとマセラティの愛好家で知られる人物だ。

大西洋を横断してから52年後、シャシー番号4001Gの3リッター・スーパースポーツは渡英。ロンドンの北、ポッターズ・バーに建つミラーの自宅へ運ばれた。

オリジナルのエンジンはカナダで止まったままだったが、別のツインカム・ヘッドを載せて残されていた。白いメーターや別注のステアリングホイールなど、特徴的な部分もオリジナルが保たれていた。

6年間を投じた丁寧で綿密なレストア

複数のサンビーム・ツインカムを所有していたミラー。手を付けるべきクルマが多く、3リッター・スーパースポーツは、放置状態になっていた。

そこへ、現在のオーナーが救いの手を差し伸べる。サンビームの第一人者として知られるジム・キャットナッハ氏へ、オーナーはレストアを依頼。1926年に発表された当時の姿へ、復元する作業が託された。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

キャットナッハが請け負ったレストア作業には、元のクランクケースを用いた、新しいエンジンのリビルドも含まれていた。丁寧に綿密に仕事は進められ、作業には約6年を要している。

完成したサンビーム 3リッター・スーパースポーツの佇まいは壮観だ。今でも走る先々で、数え切れないほどの賛辞を集める。

現在、サンビームのスピードブレーカーに搭載されていた、12気筒エンジンの1基がリビルドされているという。327.97km/hを叩き出したサンビーム1000phが、再び走れるように。

このセグレイブが所有していた3リッター・スーパースポーツと並んだとしたら、前例のない素晴らしい光景になるだろう。将来のアメリアン・アイランド・コンクールデレガンスの会場に、ぜひ2台を展示してもらいたいと思う。

デモランとして、デイトナビーチを走るのも良い。セグレイブが1927年に残したスピード記録の100周年まで、残り6年ある。素晴らしい次のオーナーの手に渡り、実現してほしいものだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

初代オーナーは地上最速の男 サンビーム 3リッター・スーパースポーツの前後関係

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