時代の最高速モデル 1930年代 ベントレー8リッター サルーンボディで172.7km/h

公開 : 2022.04.16 07:06

クルマの性能を端的に表す指標の1つ、最高速度。過去100年間を振り返り、各年代の最速モデルをご紹介します。

重く空力的に不利なボディで167km/h以上

第二次世界大戦前のモデルで主張される最高速度へ届くには、ドライバーの誰にも負けない勇気と、充分なストレートが必要だった。同時に、すべての個体が同等の性能を発揮できるとも限らなかった。

1930年代のベントレーは、8リッターという高性能モデルをシャシー単体で販売していた。大抵の場合は、ボディを専門に手掛けるコーチビルダーによって、豪華な特注ボディが搭載されていた。重さやデザインで、最高速度にも大きな影響が及んだ。

ベントレー8リッター(1930〜1931年/英国仕様)
ベントレー8リッター(1930〜1931年/英国仕様)

専門家によると、重く空力的にも不利なサルーンのボディですら、202psを発揮した8リッターは167km/h以上の速度へ到達していたという。そこで、1930年代の最速モデルとして選ばさせていただいた。

同時期には、ライバルモデルもそれに並ぶ速さを残している。だが、マリナー社やヴァンデン・プラ社などのコーチビルダーは、性能重視のボディも8リッターへ製造しており、より高い最高速度を達成していた可能性は大きい。

ベントレーを創業者したWO.ベントレー氏も、2ドアボディの8リッターを走らせ、ブルックランズ・サーキットで161km/hに届いている。さらにハーバート・ケンジントン・モア氏は、後に172.6km/hを記録した。

1930年のロンドン・モーターショーでは、ベントレー自ら世界最速だと主張していた。8リッターのシャシーが秀でていたことは間違いなく、この年代の代表として、ふさわしいだろう。

エンジン単体も技術力が結集した傑作

今回ご登場願ったのは、8リッターの基本といえるサルーン。100台のシャシーが製造されたが、この個体は工場を2番目にラインオフした。AUTOCARで新車時に試乗テストを実施したクルマでもある。

現在はレストアを受け、ベントレーが保管する貴重なクラシックだ。その仕上がりは素晴らしい。同社が当時、財政的に苦しい状況だったことが疑わしく思えるほど。

ベントレー8リッター(1930〜1931年/英国仕様)
ベントレー8リッター(1930〜1931年/英国仕様)

「息をしていないように静かな、時速100マイルのクルマを作りたいと考えてきました。今、それを成し遂げたと考えています」。とWO.ベントレー氏は言葉を残している。

しかし1929年、アメリカ・ウオールストリートを発端に世界的な不況へ突入。その9ヶ月後に、ベントレーは破産管財人の管理下におかれてしまった。

8リッターのエンジン単体でも、ベントレーの技術力が結集した傑作だといえる。ツインスパークの直列6気筒で、モノブロックのオーバーヘッドカムを備え、バルブは1気筒あたり4枚。マグネシウム合金製のクランクケースが与えられている。

ラダーフレームシャシーは、156インチ(約4m)か144インチ(約3.6m)の2種類が選べた。サスペンションは、フロントがリーフスプリングにフリクションダンパーという組み合わせ。リアにはレバーアーム・ダンパーが組まれている。

ブレーキは、四輪ともに15.7インチのドラム。真空サーボで、制動力が強化されていた。巨大なボディを力強く減速させたに違いない。

走行可能なシャシー状態で、当時の価格は1850ポンドという高額ぶり。最先端の技術が投入された結果だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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