EV24時間チャレンジ ポルシェ・タイカンで行く欧州14か国弾丸ツアー オランダ−セルビア1900km

公開 : 2022.10.22 20:25

スロヴェニアからクロアチア、そしてハンガリー国境へ

計画ではスロヴェニアからまっすぐクロアチアとボスニアを目指し、ゴールのセルビアへ入るはずだった。これを、クロアチアで進路を北へ転じ、ハンガリーに立ち寄ってからUターンして最後の充電を行って、最後の2国へ向かうことに変更した。

これで、立ち寄る国の数は14となる。当初は13か国のはずだったが、これはGoogleマップでシンプルなルートを検索した結果だ。

ここまであまりにもスムースにこれたばかりに、慢心したのかもしれない。それをいましめられるかのごとく、ハンガリー入国時には立たされ坊主よろしく足止めを食うこととなった。
ここまであまりにもスムースにこれたばかりに、慢心したのかもしれない。それをいましめられるかのごとく、ハンガリー入国時には立たされ坊主よろしく足止めを食うこととなった。    JOHN BRADSHAW

ルート変更のリスクは低く思えた。可能性がある最悪のケースは、セルビア到着前に時間切れになることだが、それでも当初予定した13か国はクリアできる。そこで、ナビの経路設定を変更したのである。

クロアチアでは、国土の広さと高速道路の見通しのよさ、渋滞のなさを思い知った。おかげで、ハンガリー国境まではスイスイと、1時間半ほどで辿り着けた。いい感じだったが、それは国境までの話。英国人が差し出した非EUのパスポートを目にした国境警備隊は、クルマを路肩に寄せて停めるよう指示し、われわれは審査のために少々待たされることとなった。

トラブルなくハンガリーへ入国する車列を眺めながら待つ時間は、じつに苦痛だった。われわれのプランにとっては致命的とも思える45分ほどが経ったころ、ようやくスタンプを押されたパスポートが戻ってきて、入国が許可された。

まさにそのとき、われわれが目にしたのは、クロアチアへ入国するための長い行列だった。そこで、一か八か警備兵に声をかけてみた。道を間違えてハンガリーへ来てしまったので、Uターンしなければならないのだが、と。

幸運にも、怒りではなく同情を買うことに成功し、結局はそのまますぐにクロアチアへ引き返すことができた。

ハンガリー国境からクロアチア、ボスニア国境、そしてセルビアへ

ハンガリーの呪縛を逃れてしまうと、一番近いイオニティのチャージャーまでは1時間とかからなかった。ザグレブの南にあるそこへ着いたとき、もはやわれわれに猶予はなかった。だから、バッテリー残量が80%に達した23分で充電を切り上げた。見通しとしては、ボスニアとセルビアを訪れてから、クロアチアの充電スポットへ戻ってくるにはジャストといったところになるはずだ。

その後2時間ほどは、アドレナリン全開で走った。午後1時10分に走り出し、1時間半足らずでボスニア国境に到着。ありがたくも、パスポートの押印以上には時間を費やさずに通過できた。ルートはすぐにサヴァ川を渡り、クロアチアへ3度めの入国をしたが、ここでも質問を受けるようなことはなかった。

14か国を23時間50分で走破。どうにか目標はクリアしたが、残りの電力量は乏しい。充電スタンドまでたどりつけたのか、そこは読者諸兄のご想像にお任せしよう。
14か国を23時間50分で走破。どうにか目標はクリアしたが、残りの電力量は乏しい。充電スタンドまでたどりつけたのか、そこは読者諸兄のご想像にお任せしよう。    JOHN BRADSHAW

ここで足止めを食らっていたら、その後も走り続けたところでこの丸一日の努力が水の泡になっていただろう。しかし、ナビ画面へチラッと目をやると、セルビア国境までの所要時間は75分、24時間のタイムリミットまでは90分であることが確認できた。そこで、航続距離を稼ぐためにエアコンを切り、ゴールへとひた走った。

午後3時53分。オランダでスタートラインを切ってから23時間50分で、われわれはセルビアの土を踏んだ。その時点での平均速度は98km/h、走行距離は1930km。そこまでの充電回数は7回だった。

途中ではルクセンブルクでの渋滞やハンガリー入国時の足止めといった障害に出くわしたものの、どうにか24時間を10分切る結果となった。14か国を巡って、ゴールしたところでのバッテリー残量は21km走行分。現状ではこれがEVの実力の最高レベルだろうが、進化はまだまだ続くはずだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ニール・ウィン

    Neil Winn

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    関耕一郎

    Koichiro Seki

    1975年生まれ。20世紀末から自動車誌編集に携わり「AUTOCAR JAPAN」にも参加。その後はスポーツ/サブカルチャー/グルメ/美容など節操なく執筆や編集を経験するも結局は自動車ライターに落ち着く。目下の悩みは、折り込みチラシやファミレスのメニューにも無意識で誤植を探してしまう職業病。至福の空間は、いいクルマの運転席と台所と釣り場。

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