サイズが生む敏捷性に魅了 ポルシェ356 ブランド初の量産車 1948年のゲームチェンジャー(6)

公開 : 2023.05.07 07:06

戦後の開放的な雰囲気のなか、ゲームチェンジャーといえる傑作モデルが誕生した1948年。その最たる6台を、英国編集部がご紹介します。

最初期のエンジンはビートルの改良版

75年前、生産数では順調なスタートを切れなかったのが、ポルシェ初の量産モデル、356だ。新たな自動車メーカーとして、オーストリア北部のグミュントに構えた工場で最初期型が作られたのは、52台に留まった。

フェルディナンド・ポルシェ氏の名前は、ナチス政権の要請で設計されたKdFワーゲン、後のフォルクスワーゲンビートルや、アウトウニオン・グランプリ・マシンの開発などを通じ、自動車業界では知られていた。だが、一般的に認知されてはいなかった。

ポルシェ356 プレA(1948〜1955年/欧州仕様)
ポルシェ356 プレA(1948〜1955年/欧州仕様)

フェルディナンドの息子、フェリーの協力を得ながら、疎開先のオーストリアで試作車を製作。ドイツのコーチビルダー、ロイター社と量産ボディの生産契約が結ばれ、シュトゥットガルトのツッフェンハウゼンへ生産拠点は戻るが、規模は小さなものだった。

当初の356のエンジンは1.1Lの空冷式・水平対向4気筒で、基本的にはビートルの改良版。ツインキャブレターと新しいエグゾースト、基本的なチューニングなどで、10psのパワーアップが図られていたが。

独立懸架式のトーションバー・サスペンションや、ヘッドライトなどの小さな部品も、フォルクスワーゲンから流用していた。いずれも、フェルディナンドがビートルで開発したものだった。

だが、ボディとシャシー、インテリアは独自設計。1955年まで生産されたプレAと呼ばれる初期型でも、毎年のようにアップデートが加えられていった。

ポルシェの愛すべきDNAが香る

1951年になると、ポルシェはオプションとして1286ccのエンジンを356に用意。1952年には1488cc仕様も設定された。いずれも、ビートルの排気量拡大より遥か以前に進められている。

ポルシェ独自による、量産車初となるオール・シンクロのトランスミッションも1952年に登場。リアエンジンのスポーツカーとして、特徴を濃くしていった。

ポルシェ356 プレA(1948〜1955年/欧州仕様)
ポルシェ356 プレA(1948〜1955年/欧州仕様)

プレAと呼ばれる初期の356は、グッドウッド・サーキットでも見慣れた存在ながら、特別であることを静かに主張する。とりわけ、サーキット向けに手が加えられた、ラージ・シトラニ氏のライトブルーの1台は存在感が強い。後期の1500スーパーだ。

エンジンの始動前に、ダッシュボードの底面へ指を伸ばし、ボタンを10秒ほど押してガソリンを送る。ハンドブレーキは、ステアリングコラムの影に隠れている。設計が古いモデルであることを、そのプロセスから感じる。

発進させて400mも走らないうちに、ポルシェの愛すべきDNAがひしひしと香ってくる。低回転域ではフォルクスワーゲンのフラット4に似た振る舞いのエンジンは、シフトダウンしてアクセルペダルを傾けると、まったく異なる勢いで吹け上がる。

クレッシェンドしていくサウンドも痛快。1954年式のプレAは55psしか発揮しないものの、ポルシェが施した改良によって中回転域以上で明らかな違いを生んでいる。加速は想像以上に活発。スペックシートには、驚くような数字が並ばないとしても。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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