直5ターボの快速ワゴン アウディ200 アバント・クワトロ・ターボ ボルボ850 T-5R エステート (1)

公開 : 2023.10.15 17:45

モータースポーツで活躍した850 エステート Urクワトロの駆動系を積む200 アバント・ターボ 古き良きステーションワゴンを英国編集部がご紹介

直列5気筒ターボを積んだステーションワゴン

アウディ200 アバント・クワトロ・ターボは速かった。一層パワフルで速いステーションワゴンは存在したし、より広く実用的なモデルも提供されてきた。それでも、少なくとも珍しさでは右に出る例は少ないだろう。

現役時代、1985年からの6年間にグレートブリテン島で売れた数は、僅か171台。現存する例は、片手で数えられる程度へ限られるようだ。

クリーム・イエローのボルボ850 T-5Rと、シルバーのアウディ200 アバント・クワトロ・ターボ
クリーム・イエローのボルボ850 T-5Rと、シルバーのアウディ200 アバント・クワトロ・ターボ

その10年後、ボルボも同様に高速なステーションワゴン、850 T-5R エステートを発表した。ツーリングカー・レースとの結びつきで深い記憶を残したが、こちらも残存数は多くない。

2台の類似点はいくつかある。フロントに収まるエンジンは、ターボで過給される直列5気筒。生産数は7000台に届いていない。どちらも大きなテールゲートを備え、実際には販売期間が重ならないものの、1990年代半ばには好敵手といえる関係にあった。

850 T-5Rとモータースポーツとの縁は、200 アバント・クワトロ・ターボより色濃い。1994年にサーキットデビューを果たした850 エステートは、空飛ぶレンガと比喩された、ボルボ240以来となる活躍をスウェーデンの自動車メーカーへ与えた。

1980年代の欧州ツーリングカー選手権では、トム・ウォーキンショー氏率いるチームが、2ドアサルーンの240 ターボをチューニング。BMWジャガーを凌駕する走りを披露していた。偶然にもその後、正式にワークスマシンの開発が依頼されることになった。

レーシングカーを手掛けたのはTWR

周囲を驚かせる協働といえたが、グループCマシンの時代には終わりが訪れ、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)は方向性に悩んでいた。ジャガーXJR プロトタイプは複雑で、成功が遠のいていた。ポルシェは、既に独自の道を歩んでいた。

XJ220には大きな可能性があったものの、販売数が伸びず、ジャガーから契約を打ち切られる可能性をはらんでいた。ウォーキンショーは、新しいプロジェクトを求めていた。しっかり、資金を提供してくれるクライアントが必要だった。

ボルボ850 T-5R(1995〜1996年/英国仕様)
ボルボ850 T-5R(1995〜1996年/英国仕様)

1993年10月、ボルボはモータースポーツへの復帰を表明。240の後継となる850を使用し、TWRと提携することが明らかにされたが、レーシングカーの具体的な内容までには触れられなかった。多くの人が、サルーンを想定したに違いない。

1994年2月に開かれたスウェーデン・ストックホルム・モーターショーには、サルーンだけでなく、エステートをベースにした850のレーシングカーが出展された。その時点でも、実際にサーキットデビューするとは明言されていなかった。

しかし、1か月後の英国ツーリングカー選手権(BTCC)で、噂は真実だったことが判明する。TWRは、ステーションワゴンでワークスマシンの開発を終わらせていたのだ。

BTCCのレギュレーションへ則り、エンジンにはターボを組むことができなかった。ボルボの名機といえる2.3Lユニットも使えず、2.0L直列4気筒が搭載されていた。それでも、見た目は850 エステートそのままだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジャック・フィリップス

    Jack Phillips

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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