スポーティ「フレーバー」を楽しむ フォルクスワーゲン・カルマンギア MGBに代わる1台を選ぶ(5)

公開 : 2025.01.19 17:45

英国スポーツ・クラシックの定番:MGB 同等の予算で選べる、対抗馬的モデルは? 運転の楽しさで劣らない個性派は? ランチアにポルシェ、プジョーまで 英編集部が5台を選出

起源はクライスラーのコンセプトカー?

フォルクスワーゲン・カルマンギアの誕生には、アメリカ・デトロイトが深く関わっている。同社の上層部は殆ど把握していなかったようだが、1950年代のクライスラー社とイタリアに拠点を置くカロッツエリアのギア社は、積極的にビジネスを展開していた。

大西洋を超えて、いくつものデザイン提案が練られていた。クライスラーのデザイナー、ヴァージル・エクスナー氏による審美眼のもと、とある次期モデルの候補も、そこには含まれていた。

フォルクスワーゲン・カルマンギア・コンバーチブル(1957〜1974年/英国仕様)
フォルクスワーゲン・カルマンギア・コンバーチブル(1957〜1974年/英国仕様)

ギアがデザインから製造まで請け負ったコンセプトカー、デ・エレガンスのスタイリングは、ひたすら美しかった。フロントフェンダーは滑らかに後方へ流れ、リアフェンダーのカーブはウエストラインからキックアップし、優雅なテールを織りなしていた。

筆者が推す、フォルクスワーゲン・カルマンギア、タイプ14のスタイリングと、共通する特徴が見られるのは偶然ではない。ボディサイズは、大きく異なるけれど。

ドイツの国民車を提供するメーカーとして、実用主義に軸を置いていたフォルクスワーゲンは、タイプ1のビートルとタイプ2のバスに続く新しいモデルファミリーを、その頃に検討していた。ドライバーを喜ばせる、スポーツカーの創出に意欲的だった。

今でも見るものを魅了するフォルクスワーゲン

フォルクスワーゲンは、ギア社へビートル・カブリオレの生産を委託していた。そこで、スポーツカーの開発に関しても協力を仰いだ。偶然にも、生産には至らなかったデ・エレガンスのスタイリングが、ギア社では宙に浮いていた。

ビートルのフロアパンへサイズが合うよう、ボディは40%縮小。役員会議で美しいクーペが披露されると、出席者はその提案へ魅了された。すぐに量産化が決まったという。

フォルクスワーゲン・カルマンギア・コンバーチブル(1957〜1974年/英国仕様)
フォルクスワーゲン・カルマンギア・コンバーチブル(1957〜1974年/英国仕様)

魅力的なモデルの誕生秘話として、望ましい内容ではないかもしれない。しかし、今でも見るものを惹き込むフォルクスワーゲンであることは、間違いないだろう。

生産が始まったのは、1955年。フォード・サンダーバードにMGA、トライアンフTR3、メルセデス・ベンツ190SL、ジャガーMk1、シトロエンDSなど、興味をそそられるモデルのビンテージイヤーといえた。その中で、カルマンギアも輝いていた。

小さな空冷・水平対向4気筒エンジンのクーペを、スポーツカーだと強くは主張しにくい。発売当初の最高出力は、当時としても高くはなかった36ps。1969年には57psへ増強されたが、それでも活発に走るな、と思わせる程度といえた。

とはいえ、運転体験は速さだけではない。滑らかなパワーデリバリーや、シフトフィール、聴き応えのある排気音も大切な要素になる。MGBへ劣らないような美しい容姿も、クルマの魅力を織りなす重要な側面といえる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    デイモン・コグマン

    Damon Cogman

    英国編集部ライター
  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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