消えたブランドの傑作:ボルクヴァルトP100 当時のドイツ製サルーン最速:BMW 502(1)

公開 : 2025.01.25 17:45

ドイツ製の量産サルーン最速を誇った502

P100では、2速調整ワイパーやシガーライター、フォグランプとバックランプも標準だった。フロント・サスペンションには、イザベラ譲りのボールジョイントを採用。オールアルミ製2240ccエンジンは101psを発揮し、最高速度は160km/hがうたわれた。

同じ頃、BMWが提供していたのは、1951年に発表された直列6気筒エンジンの501。5シーターのボディはドアが観音開きで、ふくよかな局面のスタイリングが特徴だった。復数の仕様が設定され、1952年から1963年にかけて合計2万1807台が作られている。

BMW 2600L(502 V8/1954〜1963年/欧州仕様)
BMW 2600L(502 V8/1954〜1963年/欧州仕様)

当初のエンジンは2.0Lか2.2Lの直6だったが、1958年に2.6LのV型8気筒が登場。501 V8という名が与えられ、このシリーズでは最も長期間生産されている。ボディは、サルーンだけでなくクーペやカブリオレも選べた。

1954年には、V8エンジンを標準にした502がデビュー。最高出力は101psで、当初は502 2.6を名乗ったが、モデル末期には111psへ強化され2600Lへ改称されている。

502 スーパーは、1955年に登場。排気量を拡大した3.2Lエンジンは121psを発揮し、1958年からはBMW 3.2を名乗るように。同時期に、ツイン・ソレックスキャブレターを組んで142psへ増強された、BMW 3.2 スーパーも発売されている。

これは後にBMW 3200Sへ進化。最高出力は162psへ引き上げられ、最高速度は189km/hに届き、ドイツ製の量産サルーンとしては最速を誇った。

情報を殆ど有していなかったヒストリック部門

BMWはアメリカを意識し、1949年からオーバーヘッドバルブを採用したV8エンジンの開発を進めていた。アルミ製ブロックとヘッドを備え、プッシュロッドでバルブを開閉するユニットで、ドイツ製としては戦後初のV8だった。

501のスタイリングは、当初イタリアのピニンファリーナ社へ提案を依頼するものの、最終的には戦前のBMW 326へ似た自社案を採用。チューブラー・クロスメンバーを備えたボックスセクション・シャシーに、スチール製ボディが溶接されている。

BMW 2600L(502 V8/1954〜1963年/欧州仕様)
BMW 2600L(502 V8/1954〜1963年/欧州仕様)

サスペンションは、フロントがウィッシュボーンとトーションバー。ステアリングラックは、垂直方向のシャフトが繋がる、特殊な設計といえたセクター&ピニオン式が採用された。リアはトーションバーが支えるリジッドアクスルだ。

クラッチとトランスミッションの間にプロペラシャフトが備わる点も、特徴といえる。これによりレイアウトの自由度が増し、フラットなフロアを実現していた。電動ラジオアンテナなど装備は充実していたが、相応にお値段は高かった。

今回ご登場願った502 V8、改め2600Lは、ドイツ仕様の1960年式。1974年にグレートブリテン島へ上陸しているが、ロンドンの倉庫に眠っていたのを、現オーナーのダレン・サリバン氏が発見している。

この年代のBMWに関する知識は殆どなかったと打ち明ける彼は、多額の予算と時間を割き、素晴らしい状態まで復活させた。BMWのヒストリック部門は、部品などの情報を殆ど有していなかったらしい。ボディ塗装のコード番号すら不明だったとか。

この続きは、ボルクヴァルトP100 BMW 502(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ボルクヴァルトP100 BMW 502の前後関係

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