ある日を境に全キャンセル シャップ・フェレ・エ・ジェザン(2) 突如の仏メーカーの終止符
公開 : 2025.02.02 17:46 更新 : 2025.02.04 09:09
アルピーヌのシャシー開発を担ったCG社 FRPボディの生産で成功 シムカ1000用エンジンを積んだ独自モデルで対抗 1974年に突如廃業した仏メーカーを、英編集部が振り返る
クライスラーとの共同で進められたMC
フランスのシャップ・フェレ・エ・ジェザン(CG)社を創業した1人、ジャン・ジェザン氏。非力なシムカ・エンジンを補うため、彼は軽量化へ腐心する必要があった。
同社のスタッフでもあったマトラ社の技術者、ベルナール・ボワイエ氏が口にした「目的を果たさないものは捨てる」という言葉へ、ジェザンは頼った。CG 1200 Sの1969年仕様からは、エンジンを後方側から支える構造が削除されている。

2本の固定ロッドと、ロワーマウントのみで支えられる事になったが、リア寄りの重量配分も僅かに改善した。それでも、スーパーチャージャーをオプションに設定し、更なるパワーが求められた。
これは548と命名され、モータースポーツ前提のCGとして良く売れたらしい。シャシーは薄肉化され、フロアはスチールからアルミへ変更。ボディの重さも削られた。「勤務時間外で開発された仕様でした。すべて手作業で、コストも抑えられていました」
548の成功は、クライスラーの欧州市場向けサルーン、180のエンジンを搭載したラリー仕様へ発展。ボワイエの指揮のもとマトラで設計され、1970年に発表される。ミドシップ・レイアウトで、CGのFRP製ボディへ僅かに手を加え、MCの名で販売された。
小さなラリーチームでアルピーヌへ対抗
「MCも含めて、クライスラーと手を組んで進められたプロジェクトは、クライスラー側が費用を負担していました。人件費も、時間単位で支払われました。マトラからは、部品製作のために2名の図面技術者を派遣してもらってもいます」。ジェザンが話す。
MCの生産数は5台。小さなラリーチームとして戦績は悪くなかったものの、アルピーヌの立場を揺るがすほどの態勢とはいえなかった。

「180の4気筒エンジンは、トラック用で軽くはありませんでした。でも、ミドシップのロードカーへ展開できるだろうと、考えてはいましたよ」。ジェザンが微笑む。
これと前後し、CGの1200 Sは、シムカ1000 ラリー2用の1294ccエンジンを獲得。スタイリングも一新され、CG 1300へアップデートされる。最高出力は3ps落ち、車重も760kgへ増えていたが、低域でのトルクは大幅に太くなっていた。
発表は1972年のパリ・モーターショー。フォルムはシャープになり、リアが短縮され、ウインドウの面積が増えていた。ホイールアーチは膨らみ、フロントノーズにはチンスポイラーを装備。ウインカーは、ヘッドライトの下に移動された。
また1300では、サスペンションのダンパーは前後とも左右1本づつへ変更。前にツインキャリパー、後ろにビッグキャリパーを組める、アップグレード・ブレーキがオプションで用意されている。