知られざる「アルピーヌ」のライバル シャップ・フェレ・エ・ジェザン(1) 下請けからの脱却

公開 : 2025.02.02 17:45

アルピーヌのシャシー開発を担ったCG社 FRPボディの生産で成功 シムカ1000用エンジンを積んだ独自モデルで対抗 1974年に突如廃業した仏メーカーを、英編集部が振り返る

アルピーヌの開発を請け負った小さなCG社

1960年代、シャップ兄弟と甥のジャン・ジェザン氏の4名が立ち上げたシャップ・フェレ・エ・ジェザン(CG)社は、フランスを代表するグラスファイバー(FRP)製ボディのワークショップだった。アルピーヌ初の量産モデル、A106の開発も請け負っていた。

1958年には、シトロエン2CVがベースの小型スポーツカー、ウマップのボディを製作。翌年には、デビッド・ブラウン・チームが擁する、アストン マーティンDB1の専用ボディも手掛けた。フランスのパナールにも、ル・マン用ボディを提供している。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)

拠点があったのは、パリの南東に位置する小さな町、ブリ・コント・ロベール。約20名のスタッフで営まれていた小さな会社としては、驚くべき業績といっていい。

しかし、アルピーヌは1960年代半ばに取り引きを縮小。シトロエン傘下のパナールも、1965年には廃業してしまう。CG社は、新たな事業を展開する必要性に迫られた。

「下請けとしての事業継続は、リスクが多すぎました」。ジェザンが振り返る。「アルピーヌが好例です。彼らは、われわれと手を切ったんです。状況の理解は難しく、長期計画も持っていませんでした。事業は徐々に衰退していくだけでした」

「CGのクルマは、アルピーヌと競うことが明らかな目的でした。アルピーヌの創業者、ジャン・レデレさんとの関係性も、良いものではありませんでした。海外で製造したクルマのロイヤリティを受け取ったことは、1度もなかったですよ」

シムカ1000用のエンジンをリアに搭載

果たして、CGのブランド名で作られたスポーツカーは、アルピーヌのために設計したバックボーン・シャシーをベースにしていた。しかし、リアエンジンの小さなフランス製サルーン、シムカ1000用のパワートレインや足まわりが採用された。

エンジンは、944ccのプッシュロッド式4気筒で、トランスミッションはポルシェ由来の4速マニュアル。ラジエターは横向きに積まれた。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)

サスペンションは、前が横置きのリーフスプリングにアンチロールバー。後ろは、コイルスプリングにセミトレーリングアームという構成だった。最初の7台を除いて、ブレーキは前後ともディスク。制動力を補完する、サーボも追って組まれた。

ボックスセクション構造のサイドメンバーを備え、フロアが溶接されたシャシーは、軽く強固だった。その上に被さったのは、ジェザンがデザインした2シーターのオープンボディ。フロントガラスは、シムカ1000 クーペのものが流用された。

ジェザンが続ける。「シムカが好きだった、というわけではありません。でも、一緒に仕事をする上で適した人物がいました。それに、当時のシムカはスポーツカーをラインナップしていませんでした」

「個人的には、フィアット、正確にはアバルトとの連携を期待していたんです。5速MTのアバルトが使えると思っていました。最終的には、より優れたメカニズムの利用も可能ではないかとね・・」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・プレスネル

    Jon Pressnell

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

シャップ・フェレ・エ・ジェザンの前後関係

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