ある日を境に全キャンセル シャップ・フェレ・エ・ジェザン(2) 突如の仏メーカーの終止符

公開 : 2025.02.02 17:46

ある日を境に次々と注文がキャンセル

「これが、1番の進化形といえました。バランスも良く、買うべきクルマでしたね。フロントには横向きのリーフスプリングが載ったままでしたが、ネガティブキャンバーを強めていたはずです」

「専用のヘッドとマニフォールド、ツイン・ウェーバーキャブレターを組み、96psのパワーを得ていました。暇そうにしていた、シムカの技術者による協力が大きかったです」。1970年代前半、CGの目標生産数は毎月10台。従業員は48名へ増えていた。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)

ところが1973年に、マトラ・シムカからバゲーラという1.4Lエンジンのスポーツクーペが登場。ターゲット層が異なり、CGの脅威にはならないと見られたが、より安価ではあった。

また同年には、アラブ・イスラエル戦争が勃発。オイルショックが世界を襲い、フランスでは最高速度の引き下げが決定した。モータースポーツ活動の制限が大幅に厳しくなり、クライスラーはMCプロジェクトから完全に手を引いてしまう。

「548はバックオーダーを抱えていて、1300の注文も30件ほど溜まっていました。ところがある日を境に、次々と注文がキャンセルされたんです。制限速度が引き下げられ、CGへの興味が消えたのでしょう」。ジェザンが目を細める。

クライスラーは、追い打ちをかけるように部品供給を停止。1974年5月に、CG、シャップ・フェレ・エ・ジェザン社は廃業に至る。40年近くに及んだ、小さなスポーツカー・メーカーの活動には終止符が打たれた。

ヘルメット製造で再起を果たしたジェザン

合意的なプロセスではあったが、突如の決定でもあったという。「その頃は、1000 ラリー2用のバケットシートを成型しており、充分な収益はありました。作業エリアを広げる必要があったほど」

「しかしクルマを作るメーカーとして成長し、下請け企業への方向転換は難しかったですね」。CGによる最終的な生産数は、1000と1000 Sが約30台で、1200 Sは約270台。1300は95台といわれる。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1300と、スタッフたち。左から3番目の人物が、ジャン・ジェザン氏
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1300と、スタッフたち。左から3番目の人物が、ジャン・ジェザン氏

ただし、ジェザンのビジネスには続きがあった。その後、外部の支援を得てヘルメット製造で再起。程なくして、彼のGPAブランドは市場をリードする存在になった。現在では、F1やモトGPを戦う人の定番アイテムの1つになっている。

協力:エリック・サンス氏、ジェラール・マグロ氏、フランソワ・オリゴ氏

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・プレスネル

    Jon Pressnell

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

シャップ・フェレ・エ・ジェザンの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事