編集者としての原点、ランチアランチの話(後編)【新米編集長コラム#16】

公開 : 2025.01.24 11:45

AUTOCAR JAPAN編集長ヒライによる、新米編集長コラムです。編集部のこと、その時思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第16回は、前回レポートしたランチアランチ話の続きです。

両ブランドが関係した2台のモデル

前回はイベント取材に対する思い入れと、ランチアランチの簡単なレポートを書かせて頂いた。ここでは書ききれなかったオーナーさんのご紹介をしたい。今回はランチア・クラブ・ジャパンとクラブ・ザガート・ジャポネのコラボレーションということで、両ブランドが関係したモデル2台のオーナーさんをセレクトした。まずは1992年の『ハイエナ・ザガート』に乗る木村英智さんから。

木村さんのことは一方的に存じ上げていた。2019年に京都の二条城で開催された伝説のイベント、『コンコルソ・デレガンツァ京都』の主催者であるからだ。そこにランボルギーニ350GTZという、これまで解像度が低い洋書やWEBサイトの写真でしか見たことのないこれまた伝説の1台が展示されており、取材に訪れた現場で悶絶したのをよく覚えている。他もラインナップが豪華すぎて……。

ランチア・デルタをベースとする希少車『ハイエナ・ザガート』。
ランチア・デルタをベースとする希少車『ハイエナ・ザガート』。    平井大介

なおコンコルソ・デレガンツァ・ジャパンはコロナ禍などで開催されていなかったが、今年、2019年の二条城以来6年ぶりに復活する。3月15~16日に奈良の薬師寺での開催が決定しており、公式HPでの告知も始まっているので、詳しくはそちらをご覧頂きたい。

ハイエナ・ザガートは、0号車となるプロトタイプ

そんな木村さんは世界的なザガート・コレクター、アンバサダーとして知られていて、この日持ち込んだハイエナ・ザガートはなんと0号車となる、プロトタイプだという。

ハイエナ・ザガートは、ランチア・デルタ・エボルツィオーネをベースにザガートのオリジナルボディを搭載した伝説のモデルだ。1992年にザガート75周年記念に75台の販売が企画されたが、結果的には24台のみの生産となった。ハイエナは現在ザガートを率いるアンドレア・ザガート氏が最初に手掛けたプロジェクトということもあり、アンドレア氏の思い入れがあるそうだ。

ハイエナ・ザガートとオーナーの木村英智さん。
ハイエナ・ザガートとオーナーの木村英智さん。    平井大介

木村さんは最初、フィアットアバルトのザガート・ボディである(フィアット、アバルト、ザガートのトリプルネーム!)レコルト・モンツァを手に入れ、その後、ES30型SZを加えるなど、だんだんとザガートが増える中で、ハイエナの売り物を見つけたという。

そしてそれがプロトタイプとわかり、相場よりは高価であったものの、2019年のザガート100周年が迫っていたこともあり手に入れた。その後は100周年イベントに出場したり、イタリアに1年置いて、トリノの博物館に展示されたりと、様々な場所でイタリア車好きの目を楽しませている。ご本人もかなり気に入っている様子で、プロトタイプと市販版の違いなどを教えてくれた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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