自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(前編) 1948年~1991年
公開 : 2025.02.01 18:05
ブリックリンSV-1 – 1974年
安全性の高さは売りになるが、ブリックリン(Bricklin)SV-1のような低重心のガルウィングドアのクーペの場合はそうではない。SV-1という車名は「セーフティ・ビークル・ワン(Safety Vehicle One)」の略で、当時としては新しいアイデアであったロールオーバー構造と衝撃吸収バンパーを採用している。また、ガラス繊維製であったため腐食にも強い。
しかし、ブリックリン社の事業は品質管理の問題や従業員の出勤拒否により支障をきたし、衰退していった。同社は、1974年の発売から1976年にカナダのニューブランズウィック州からの出資が打ち切られて倒産するまで、SV-1の価格を2倍に値上げした。

ランボルギーニ・チーター – 1977年
ランボルギーニ・チーターが初代ハマーと似ているのは、単なる偶然ではない。これは、米軍が兵員輸送用に求めていた全地形対応車の仕様要求に基づいて開発されたクルマである。ランボルギーニはモビリティ・テクノロジー・インターナショナル社と提携して、クライスラー製V8エンジンをリアに搭載したチーターを製作した。
このエンジンレイアウトはハンドリングには不利であり、米陸軍はAMジェネラル社と契約を結び、ハマーが数多く製造された。たった1台のチーターは売却されたが、ランボルギーニはこの経験から十分なインスピレーションを受け、カウンタックのV12エンジンを搭載したLM002を開発した。

ボルボ262C – 1977年
ボルボは時折、クーペにも手を伸ばしている。262Cは名車P1800の後継であった。しかし、ベースとなった200シリーズのレンガのような外観をそのまま引き継いでおり、そこに奇妙なスタイルのビニール製ルーフが取り付けられている。これは米国の富裕層向けのラグジュアリークーペとして企画されたもので、パワフルなV6エンジンを搭載していたにもかかわらず、敬遠されてしまった。
それでもボルボはめげずに、ベルトーネがイタリアで製造した262Cを多くの市場で販売したが、台数を大幅に伸ばすには至らなかった。結局、262Cは6622台が製造されたところで1981年に販売中止となる。

DMCデロリアン – 1981年
自動車業界における大きなチャンスを逃した失敗例として、特に有名なデロリアンDMC-2だが、発売前はあらゆる面で有利な条件が整っていた。ロータスが設計したシャシー、ジウジアーロによるスタイリング、元GM幹部のジョン・Z・デロリアンというカリスマ的経営者、そして仕事に飢えた北アイルランドのベルファストの労働力……。しかし、すべては財政赤字、麻薬スキャンダル、そして無駄に費やされた英国の公的資金という混乱の中であっという間に崩れ去り、クルマの評判も傷ついてしまった。
他にも、ガルウィングドアの衝突安全性に対する懸念、非力なV6エンジンによる性能の低さ、傷が目立ちやすいステンレススチール製ボディなど、さまざまな問題があった。 そして、最後のとどめとなったのは、そのハンドリングの悪さだった。2年足らずで物語の幕は閉じ、わずか8583台しか製造されなかった。

画像 大衆車も高級車もスポーツカーも、失敗の連続です。【シトロエン・ビジュー、アストン マーティン・ラゴンダ、パンサー・ソロを写真で見る】 全48枚


















































