実用性は度外視 ロータス340R ルノー・スポール・スパイダー(1) AUTOCARが開発関与
公開 : 2025.03.01 17:45
179psのKシリーズを積んだビキニ姿のエリーゼ
英国の公道用モデルの規則では、むき出しのタイヤは認められていない。そこで限りなく小さく薄い、クリップで固定するサイクルフェンダー兼マッドガードが装備された。
先細りのフロントノーズ両端には、F1風のウイングが与えられ、テールにも大きなウイングをマウント。有効なダウンフォースがもたらされた。

かくして仕上がった340Rを、「ワンピースの水着というより、ビキニ姿のエリーゼ」だと、AUTOCARは表現している。ドアのないボディへ乗り込むには、アルミ製バスタブ・シャシーを乗り越える必要がある。
タイヤはヨコハマが選定され、ハイグリップな専用コンパウンドのA032が開発された。サイズは、前が195/50の15インチ、後ろが225/45の16インチで、テクノマグネシオ社製のホイールが組まれる。
シャシーは、エリーゼのサーキット専用仕様、スポーツ190がベース。スプリングは引き締められ、ダンパーはアップグレードされたが、192psを発揮するKシリーズ・ユニットの最強版は、公道用に認証を受けてはいなかった。
かわりにミドシップされたのは、179psのKシリーズ。7800rpmで最高出力を発揮し、パワーウエイトレシオは265ps/tが叶えられた。トランスミッションは、スポーツ190用の5速クロスレシオ・マニュアルが継投されている。
340Rの計画が発表されたのは、1998年10月の英国モーターショー。量産仕様の決定には至る前だったが、反響は想像以上といえ、その場で販売契約が結ばれている。
F1の成功で絶好調にあった20世紀末のルノー
当時AUTOCARに在籍していた、ジャーナリストのクリス・ハリス氏が340Rへ試乗したのは1999年12月。「どんな価格帯の例と比べても、同等のスリルを味わえるモデルはほぼないでしょう」。と絶賛している。
生産が本格化したのは、それから2か月後の2000年初頭。この時点で、340台の予定数はすべて納車先が決まっていた。英国価格は、3万5000ポンドだった。

限定のロータスだから、340Rの需要は充分に想定できた。だが、一般的な自動車メーカーが過激なモデルを提供したら、同等の反響を得られるだろうか。1993年にルノーの上級副社長へ就任したパトリック・ル・ケマン氏は、可能性があると主張した。
20世紀末のルノーは、F1の成功で絶好調にあった。ル・ケマンは、ルノー・スポールのクリスチャン・コンツェン氏と意見を共有。ワンメイクレースのベースモデルになり得る、公道用スポーツカーの開発へ踏み切った。
コンセプトで描かれたのは、ケータハム・スーパーセブンの現代版。発案から9か月足らずで、2シーターのミドシップ・ロードスターのデザインは決まったという。
フルサイズのクレイモデルをもとに、フランスのノガロ・テクノロジーズ社がボディを成形。アルミ製プラットフォームは、ノルウェーのハイドロ・アルミニウム社が開発した。同社はこの数年後に、ロータス・エリーゼのシャシーを生産してもいる。
スポール・スパイダーの開発速度も、相当に早かった。1994年10月には量産化が決定し、1995年3月のスイス・ジュネーブ・モーターショーで、試作車が公表されている。
この続きは、ロータス340R ルノー・スポール・スパイダー(2)にて。




























































































































