日産スカイライン GT-R(R34) 意外なほど自然でアナログ 輝かしい1990年代のクルマ(7)

公開 : 2025.04.27 19:06

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3世代で引き継がれたコンセプト

日産からR34型スカイライン GT-Rをお借りし、しばらくしてエンジンにヤラれた。クラシックカーを楽しむのに最適とはいえない雨だったが、四輪駆動のスポーツカーにとっては、能力を試すのに絶好の条件だった。

スポーツカーへ四輪駆動を持ち込んだのは、1980年代のアウディ。対して日本の自動車メーカーは、1990年代から本格的に技術の進化へ取り組んだ。

日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)

世界ラリー選手権では、スバルレガシィインプレッサ三菱ランサー・エボリューション、トヨタ・セリカ GT4が台頭。日産は、サーキットで技術力を見せつけた。

スカイライン GT-Rの歴史は1969年へ遡るが、3代目のR32型で四輪駆動化。1990年代に入ると、R33型を経てR34型へ進化を重ねつつ、3世代で同じコンセプトが引き継がれている。

強化されたクーペボディのフロントに載るエンジンは、2.6L直列6気筒ツインターボ。後輪操舵システムも実装され、複数のセンサーでシャシーは制御された。極めて高度な電子制御技術を、走るコンピューターだと皮肉的に表現する人もいたほど。

公道の速度域では控え目な2.6L直6エンジン

テレビゲームのグランツーリスモで、スカイライン GT-Rの速さにヤラれた読者も多いはず。グレートブリテン島へ輸入された台数は非常に少なかったものの、強烈なイメージを抱いていた英国人は少なくなかった。

筆者はゲームの影響で、少し定番すぎる日本車だと感じていたことも事実だ。実際に運転してみると、乗り心地が硬めでロードノイズの大きい、普通のクーペだな、というのが第一印象だった。

日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

公道の速度域では、直6ツインターボエンジンは滑らかに回り、主張は至って控え目。多くのGT-Rのマフラーが、大砲のような社外品へ交換されていることにもうなずける。

ドライビングポジションは理想的。1990年代のモデルのピラーは細めで、ガラスエリアは広い。狭い市街地でも、取り回しがしやすい。

意外なほど自然でアナログなドライバーズカー

濡れたワインディングへ進み、3速に落とし左コーナーへ進入。アクセルペダルを軽く踏み込むと、リアが滑らかにスライドする。続いて迫る右コーナーでは、反対向きに。

ステアリングホイールは、筆者へ語りかけるように情報を伝え、即座にフロントタイヤを反応させる。硬めのサスペンションは、凹凸の目立つ区間でも不安定にさせることはない。驚きと喜びで、心が満ちる。

日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R34/1999〜2002年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

6速MTのギア比は、そこまでロングではない。直6エンジンを、8000rpmまで引っ張り切れる。最新のフォルクスワーゲン・ゴルフ R以上に速いわけではないかもしれないが、繊細で流暢に駆け抜けていく一体感では遥かに凌駕する。

スカイライン GT-Rは、意外なほど自然でアナログ。テレビゲームで憧れたクルマは、紛うことなきドライバーズカーだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    イリヤ・バプラート

    Illya Verpraet

    役職:ロードテスター
    ベルギー出身。AUTOCARのロードテスターとして、小型車からスーパーカーまであらゆるクルマを運転し、レビューや比較テストを執筆する。いつも巻尺を振り回し、徹底的な調査を行う。クルマの真価を見極め、他人が見逃すような欠点を見つけることも得意だ。自動車業界関連の出版物の編集経験を経て、2021年に AUTOCAR に移籍。これまで運転した中で最高のクルマは、つい最近までトヨタGR86だったが、今はE28世代のBMW M5に惚れている。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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