クルマはいつ「ヴィンテージ」な形状を卒業した? 潮流が変わった時期とは 歴史アーカイブ

公開 : 2025.02.04 06:25

100年前のヴィンテージカーを見ればわかるように、かつてのクルマは車輪とボディが分離していた。しかし、ある時を境にそのようなデザインは廃れ、新しい「ポンツーン」ボディが登場した。デザインの変遷を追ってみよう。

ヴィンテージカーのデザインはいつ廃れたのか

AUTOCARに「ヴィンテージカー」が掲載されるたびに、同僚がこう言う。「古いクルマはどれも同じように見える」と。

歴史オタクである筆者も、クルマのジャンルは別として、この意見を完全に否定することは難しい。

ハノマーク2/10PS
ハノマーク2/10PS

どのクルマも、同じように山型に膨らむボンネットを持ち、高所に設置された円形のヘッドライトの間に縦長の楕円形グリルがあり、フロントとリアにはそれぞれ独立したフェンダーが取り付けられている。では、いつからそうではなくなったのだろうか?

航空力学の影響を受けて「流線型」のクルマが生まれた時点だろうか。

しかし、クルマを(比較的)モダンに見せている主な要素は、ボディ内に車輪が収まっていることである。

1921年に開発された初の流線型車、エドモンド・ルンプラーの「トロッペンワーゲン」は、当時のAUTOCAR誌に「型破りだが、見た目は悪くない」と評された外観であったが、実際にはその車輪は泥よけで囲われているだけだった。

同時期に、ルンプラーと同世代の工学者オーレル・ペルスとパウル・ヤーライは、「密閉型」の車輪を備えた不格好な流線型車を設計したが、どれも実現には至らなかった。

そして1923年、エットーレ・ブガッティは、新しいグランプリレーサーで人々を驚かせた。当時のAUTOCARの記事ではタイプ32について、次のように書かれている。

「そのアウトラインに関しては完全に独創的である」

「飛行機から翼を切り取ったような形状であり、下面は完全に平らで、クルマ全体が可能な限り路面に近づけられている」

「フロントエンド全体が覆われており、スターティングハンドルを除いて、見る者はクルマの前と後ろを区別することができない」

AUTOCARはこれを「水槽(タンク)を連想させる」形だと考え、実際、これがタイプ32の愛称となった。

それ以上に注目すべきは、1925年にドイツのハノマーク(Hanomag)社が発表した2/10PSという単気筒の小型車である。ボディの両側にフェンダーを組み込んだ最初の量産車だ。

ドイツ人はこのクルマを、軍の配給パンにちなんで「コミスブロート(Kommissbrot)」という愛称をつけた。

「シャシーには、見る者を唖然とさせるほど多くの驚くべき斬新な特徴がある。これは最も奇妙な小型車の1つである」と当時のAUTOCARは評した。

しかし、4気筒のオースチン7が149ポンド(現在の貨幣価値で7610ポンド/約145万円)であるのに対し、132ポンド(現在の貨幣価値で6740ポンド/約130万円)もするこのクルマを購入する人がいるとは思えなかった。実際、購入者はほとんどいなかった。

このようなアイデアはなかなか広まらなかったが、第二次世界大戦後の復興期になって状況が変わり始める。空気力学に対する理解が進み、モノコック構造がボディオンシャシーに取って代わり、また資材不足によりできるだけ無駄のない設計が求められたのだ。

1947年、イタリアのスポーツカーブランドとして誕生したばかりのチシタリアは、ピニンファリーナによる軽量アルミニウム製ボディをまとった202クーペを発表した。AUTOCARは「見事に流線型に仕上げられている」と評した。

202は非常に画期的であったため、後にニューヨーク近代美術館(MoMA)が初めて収蔵したクルマとなった。MoMAは「この先鋭的なデザインは、当時のクルマに典型的な装飾や部品の分離を排除し、一体化構造の外装を採用している。それは、人の手によってではなく、自然によって形作られたように見える」と評した。

スタンダード社のヴァンガードは、それほど感動は与えなかったが、「ボディにフェンダー、ラジエーター、ヘッドライトがすべて埋め込まれた」この4気筒セダンは、「自動車スタイリングにおける最新トレンドの素晴らしい例」であると、1947年にAUTOCARは書いた。

実際、ヴァンガードは「ポンツーン(ポントン)」または「エンベロープ」と呼ばれるボディデザインを初めて取り入れた英国車であった。

同様に、米国ではカイザー・フレイザーやクロスリーが独自の滑らかなボディを持つクルマで未来を切り開き、ドイツではボルクヴァルト・ハンザやメルセデス・ベンツ180の愛らしいフォルムでモダンの到来を迎えた。

それ以降、特に金属成形技術の向上に伴い、デザインに個性を与える余地が大幅に広がった。1960年には初の非円形ヘッドライトが製造されるなど、さらにその傾向は強まったが、それはまた別の話である。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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