無二のザガート・クーペ ローバー2000 TCZ(1) 傑作4ドアサルーンが土台のワンオフ

公開 : 2025.04.13 17:45

カーブを描くルーフラインに2+2の空間

スパーダは、フロントのボリューム感を減らそうと努力した。フロントガラスの付け根を下げつつ、ボンネットの中央部分を凹ませている。そのボンネットはフロントヒンジで、オーバーハングは短く切り詰められた。

サイドウインドウの底辺は下方へえぐられ、リアハッチは電動。緩やかにカーブを描くルーフラインの内側に、2+2の空間が作られている。車重は1089kgで、2000より約200kgも軽く仕上がっていた。

ローバー2000 TCZ(1967年/ワンオフモデル)
ローバー2000 TCZ(1967年/ワンオフモデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

スペアタイヤは、荷室のフロア部分から移され、ボディ後端へ新設されたガソリンタンクの隣へ縦積み。リアバンパーの一部と一体になった、後端の小さなドアを開くと、取り出すことができた。燃料の給油口は、リアピラー部分に備わる。

フロントグリルは、ベースのサルーンと共通。マットブラックに塗装され、サイドマーカーはフロントバンパーの上部に載った。ドアハンドルは、ザガートらしく最小限の大きさしかない。

2000 TCZの初期の広報用写真では、2000と同じスチールホイールを履き、ホイールキャップが被されている。だがお披露目までに、ロスタイル・デザインのスチールホイールでドレスアップされた。

1967年のジュネーブ・モーターショーでは、フィアット125 GTZやボルボ142 GTZも発表されている。ピニンファリーナ社のBMCピニンファリーナ・エアロディナミカや、ベルトーネ社によるランボルギーニ・マルツァルとも重なり、注目度は高くなかった。

クルマは買うこと以上に手放す方が難しい

各国でのショーの巡回を終えると、ザガートのワークショップへ戻るが、1968年に売却。2000 TCZは、グレートブリテン島中西部のウスターシャー州にあった、ローバーのディーラーで販売される。

当時5歳か6歳だった筆者は、実は父に連れられて、そのクルマを見に行っている。無邪気にシートへ座りながら、ファミリーカーにならないかな、と想像した記憶がある。価格は1500ポンドだった。

ローバー2000 TCZ(1967年/ワンオフモデル)
ローバー2000 TCZ(1967年/ワンオフモデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

数年が経過し、10年落ちになった2000 TCZはクリスティーズ・オークションへ出品。ピーター・シルバーソーン氏が購入し、レストアを経て、1984年7月に再び売りに出された。

これを逃さなかったのが、現オーナーのジョン・ハムシャー氏。ブリストル406 Zを購入して以来、ザガート・マニアになったカーコレクターだ。

彼は、早くも19歳でアルヴィス・グラバー・クーペを購入しているが、それも維持し続けているという。クルマは買うこと以上に、手放す方が難しいと認める。2000 TCZは家族の一員であり、自分の一部だとも口にする。

「わたしは2000 TCZのことを知り、シルバーソーンさんとお会いしたことがありました。彼はとあるカークラブの会長で、喜んで自分にザガートを見せてくれました。しかし、その時点では売りに出されていませんでした」

「でも1年半後に、有名なカーディーラーへ下取りに出したようです。アメリカの大きなクルマを購入するために。自分としては、考えられない判断ですね」

この続きは、ローバー2000 TCZ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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