「今日の発展はなかった」 アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(2) リムを握る力は抜けない

公開 : 2025.09.27 17:50

倒産危機にあった1950年代のベルトーネ 北米販売のため200台を契約したスタンレー キビキビとした仕草が生む笑顔 トリノの自動車メーカー全体へ活気 UK編集部が希少な英伊合作をご紹介

リムを握る手は力を抜けない

基本技術は戦前にあるMG TD ミジェットがベースの、アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ。クラッチは乾式で、慣れるまでは滑らかな発進が難しい。しっかり回転数を上げてスパッと繋ぐ方が、ボディをユサユサ震わせなくて済む。

モトリタ社製ステアリングホイールの反応は、クイックでダイレクト。TDのものより小径で、低速域では重い。ステアリングラックは先進的といえたラック&ピニオン式で、フィードバックが頼もしい。

アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)
アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

直進性は良くなく、リムを握る手は力を抜けない。長時間運転すると、痺れてくる。

それでも、アーノルトMGは身軽。ベルトーネ社のボディを被っても、車重はTDとさほど変わらないからだろう。1250ccの直列4気筒「XPAG」エンジンが、小気味よく速度を乗せていく。

キビキビと向きを変える仕草が笑顔を生む

100km/hへ迫ると加速は鈍るものの、ギア比がショートで、70km/hくらいまでなら充分活発。路面の細かな感触が伝わり、スピード感は高い。

カーブへ突っ込むと、英国の一般道での最高速度、97km/h以下でもボディは外側へ傾く。とはいえバランスに優れ、低い速度域でも操る楽しさに溢れている。キビキビと向きを変える仕草が、笑顔を生む。運転体験は格別だ。

アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)
アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

これを200台アメリカへ輸入しようと考えた、スタンレー・アーノルト氏へ共感できる。スタイリッシュで運転が楽しく、当時のイタリア車と異なりメンテナンスは難しくなかった。彼はMGのディーラー網を現地で築いており、サービス体制も整っていた。

当時のアメリカでのMG TDの価格は、ベース仕様で2157ドル。他方、アーノルトMG クーペは2995ドルで、コーチビルド・ボディであることを考えると競争力は低くなかった。ドロップヘッド・クーペも、150ドル増しだった。

期待ほど売れなかったアーノルトMG

反面、トライアンフTR2より高く、直列6気筒の初代シボレーコルベットも数100ドル高いだけ。その頃は世界最速の1台といえた、ジャガーXK120も4000ドルしなかった。

最終的に、スタンレーの期待ほどアーノルトMGは売れなかった。200台を見込んでいたが、1954年までにクーペは66台、ドロップヘッド・クーペは37台に留まった。残存数は約半数といわれ、コレクターズアイテムとして近年は評価を高めている。

アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)
アーノルトMG ドロップヘッド・クーペ(1953〜1954年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

今回ご登場願った1台は、1954年7月にインディアナ州へ納車された。1953年10月には北米大陸へ上陸していたが、買い手は翌年まで現れなかったらしい。その後は転売され、2002年に重点的なレストアが施されている。

ボディは、本来はダーク・グリーンとグレーのツートーンだったが、ブラックとブラウンへ塗り替えられている。現在は、アーノルトMGをもう1台所有しているという、ポルトガル人がオーナーだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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