米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(前編) 各国の指導者に愛された先進性
公開 : 2025.10.04 12:05
パッカード・エイト
V12エンジンが米国で一時的に敬遠される中、メーカーは高級車に最適なユニットとして直列8気筒を選んだ。1924年に登場したパッカード初の直8モデルは『ストレートエイト』と呼ばれ、従来のツインシックスよりややストレートな名称だった。
後に他の名称も使われたが、いずれにせよエイトはツインシックスに代わってパッカードの最上位モデルとなった。1936年に生産終了するまでの間、シンクロメッシュ式トランスミッション、複数のボディタイプやエンジン排気量、そしてダッシュボードのレバーで減衰力を調節できるショックアブソーバー(これは非常に先進的なアイデアだった)が採用された。

パッカード・ライトエイト
大恐慌の最中、パッカードは1932年に低価格モデルとして『ライトエイト』を導入した。すでに定着していた直列エンジンを搭載したが、他のエイトモデルより小型軽量だった。
しかし、この試みは失敗に終わり、わずか1年で市場から撤退した。その理由として、経済力が以前より乏しくなった既存のパッカードの顧客を引き付けたため、競合他社ではなく他のエイトの販売を奪ったという説があるが、この説は議論の余地がある。

パッカード・トゥエルブ
1930年代初頭、V12エンジンが米国メーカーの間で再び流行した。パッカードは、もともと高性能な前輪駆動のプロトタイプ向けにV12を設計したが、その計画が中止になると、新モデルに流用した。当初はツインシックスと呼ばれたが、生産2年目の1933年に『トゥエルブ』と改名された。
トゥエルブはプロトタイプよりはるかに重かったため、十分な性能を得るにはエンジン排気量を当初の6.2Lから7.3Lに増やす必要があった。1935年にはさらに7.8L(最高出力180ps)に拡大され、その後4年間はこの排気量が維持された。

同じく1935年、ルーズベルト大統領は外交上の便宜を図るため、ソ連のスターリンにトゥエルブを贈呈した。スターリンは自動車全般、特にパッカード車を好み、以前にはツインシックスを所有していたため、このクルマを大変気に入ったようだ。皮肉なことに、彼は共産主義の指導者でありながら米国資本主義の産物をむしろ賞賛しており、第二次世界大戦中、飛行機で移動する際は貸与法に基づきソ連に供給されたダグラスC-47輸送機のような米国機を好んだ。ソ連でライセンス生産された同型機を信用していなかったのである。















