米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(前編) 各国の指導者に愛された先進性

公開 : 2025.10.04 12:05

パッカード・ワン・トゥエンティ

ライトエイトの失敗後、パッカードは新たなエントリーモデル開発で遥かに優れた成果を上げた。1935年に登場した『ワン・トゥエンティ』は、120インチのホイールベースに由来する名称で、パッカード基準では低価格ながら、独立式フロントサスペンションを採用するなど先進的な設計であり、極めて頑丈に作られていた。このモデルは大恐慌時代のパッカードを救った一方で、高級なブランドイメージを損なってしまい、最終的には会社に打撃を与える結果となった。

ワン・トゥエンティはパッカード基準では大衆車だったが、購入者の中にはベルギーのレオポルド3世もいた。スイスでの家族旅行中、レオポルドを乗せたクルマがルツェルン湖付近で道路から外れてしまった。車内に残ったレオポルドは負傷したが命に別状はなく、80歳まで生きた。しかし、車外に投げ出された妻アストリッド王妃は29歳で亡くなった。

1936年 インディ500のペースカーを務めるパッカード・ワン・トゥエンティ
1936年 インディ500のペースカーを務めるパッカード・ワン・トゥエンティ

パッカード・シックス

1936年に登場した3代目にして最後のシックス(一時的にワン・テンとも呼ばれた)は、ワン・トゥエンティの成功を受けて開発されたモデルであり、約10年ぶりの直列6気筒エンジン搭載車であった。1912年に登場した同社初の6気筒車が、富裕層のみが享受できる高級車だったのに対し、この新型3.9Lエンジンは正反対で、可能な限り多くの新規顧客を獲得しようという狙いがあった。

この戦略は成功した。初年度だけで6万5000台以上を売り上げ、これまでの記録をすべて塗り替えたのだ。

パッカード・シックス
パッカード・シックス

パッカード・カスタム・スーパーエイト・ワン・エイティ

1940年から1942年までのモデルイヤーのみ生産されたカスタム・スーパーエイトは、トゥエルブの後継となるパッカードの最上級モデルだった。5.8L直列エンジンは当時米国で入手可能な同型エンジン中最強とされ、約160psの出力を誇った。

このモデルは最新技術を満載していた。特に注目すべきは、量産車として初めてエアコンを装備した点だ。ただし、当時のエアコンはトランクの大半を占めるほど巨大だった。また、パワーウィンドウも初採用で、オーバードライブ(当初はエコノドライブ、後にエアロドライブと命名)や電磁クラッチも搭載されていた。この電磁クラッチにより、トランスミッションは自動変速機のように感じられたが、現代的な表現で言えば(やや不正確ではあるが)クラッチレス・マニュアルと呼ぶべきものだった。

1941年 パッカード・カスタム・スーパーエイト・ワン・エイティ
1941年 パッカード・カスタム・スーパーエイト・ワン・エイティ

(翻訳者注:この記事は「後編」へと続きます。)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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