フェラーリ308 GTB 50周年の巡礼(1) 18種に及ぶ遺伝子の起源 V12を望んだ騎士団長
公開 : 2025.11.02 17:50
象徴的なデイトナにディーノ206、288 GTO、F40 18モデルに及ぶ遺伝子の起源が308 GTB ミドシップ・フェラーリの創成期を描いた巨匠フィオラヴァンティを、UK編集部が訪問
久々に帰省した息子を迎える父親のよう
レオナルド・フィオラヴァンティ氏の邸宅は、イタリア北西部、トリノ郊外の丘陵地帯にある。真っ赤なフェラーリ308 GTS クワトロバルボーレが、敷地に整えられた砂利道を、歩くようなスピードで進む。
待ち合わせした建物の手前は、急カーブ。フロントのミシュランが、美しく手入れされた芝のギリギリをかすめる。久々に帰省した息子を迎える父親のように、彼は満面の笑みで308 GTSを眺めている。身動き1つせず。

完璧なスーツ姿のフィオラヴァンティは、恐縮するほどジェントルで、軽く日焼けしている。白髪交じりだが、御年87歳を感じさせないほど若々しい。はるばる訪れた我々を、心から歓迎してくださる。
フェラーリ308 GTBの誕生から半世紀、という節目に当たる2025年。世界中のメディアが彼を自国へ招こうとしたが、自宅での会談を好むことを理由に、すべて断ったとか。唯一、AUTOCARの訪問は許していただけたらしい。
象徴的なデイトナにディーノ206、288 GTO、F40
辿り着いたのは、彼のコンセプトカーが整然と並ぶ、印象的なスタジオの前。1998年に、エンツォ・フェラーリ氏の生誕100周年を記念して作られたフェラーリF100や、2009年にシンプルなF1マシンを提案した、フィオラヴァンティLF1が目に飛び込む。
レクサスLF-Aも、彼の代表作といえる。「LFは自分のイニシャルなんですが、レクサスは、レクサス・フィネスだと主張しますよね」。と微笑む。

とはいえ、彼の作品で最も象徴的なのは、365 GTB/4 デイトナとフェラーリ308 GTBではないだろうか。288 GTOにF40、ディーノ206 GTも外せないが。
フィオラヴァンティは、1963年にミラノ工科大学を卒業。空気力学の技術者として、学業を修めた。18歳からレースへ挑戦していたというが、1964年にデザイナーとしてカロッツエリアのピニンファリーナ社へ入社した。
最初の公道用ミドシップは12気筒にすべき
その直後から、12気筒未満のエンジンをミドシップするフェラーリの開発へ参画する。1965年に発表されたのが、V6エンジンを積んだ206 GTのプロトタイプで、1967年に市販された。V8エンジンで2+2シーターの308 GT4は、1973年に続いた。
ご存知の通り、この2モデルはフェラーリではなく、ディーノ・ブランドを背負った。他方、308 GTBの計画も並行して進められた。1968年のイタリア・トリノ・モーターショーで、コンセプトカーのP6が発表。量産モデルの開発は、翌年に始まっている。

「(308 GTBの)設計は、中断を余儀なくされました。騎士団長(エンツォ)が、最初の公道用ミドシップは12気筒にすべきだ、と決めたためです。当初は過剰だと反対していましたが、ランボルギーニ・ミウラの登場で決意されたのです」
「308 GTBに関するすべての開発は、一旦中止に。そのかわり、自分がデザインしたベルリネッタ・ボクサー(BB)が、1971年に公開されました」。とフィオラヴァンティは振り返る。技術的な問題で、365 GT4 BBの生産は2年後に遅れたが。










































































































































