「レーサーの空力を適用するのは馬鹿げてる」by フィオラヴァンティ フェラーリ308 GTB 50周年の巡礼(2)
公開 : 2025.11.02 17:51
象徴的なデイトナにディーノ206、288 GTO、F40 18モデルに及ぶ遺伝子の起源が308 GTB ミドシップ・フェラーリの創成期を描いた巨匠フィオラヴァンティを、UK編集部が訪問
もくじ
ーフェラーリを名乗ることが許された308 GTB
ー高品質なものを得ることが難しかったFRP
ー18種類に及ぶフェラーリの遺伝子の起源
ーレーサーの空力を適用するのは馬鹿げている
ー番外編:フィオラヴァンティの略歴と傑作たち
フェラーリを名乗ることが許された308 GTB
1970年代の始めには、12気筒未満のエンジンを積んだミドシップというコンセプトを、エンツォ・フェラーリ氏は完全に受け入れていたらしい。その結果、ディーノ・ブランドの206 GTや308 GT4と異なり、308 GTBはフェラーリを名乗ることが許された。
その頃、マラネロをラインオフしていた量産車は1000台前後。ビジネス感覚に鋭いエンツォは、安価なミドシップ・フェラーリが販売を大きく伸ばす可能性へ気付いていた。

マルチェロ・ガンディーニ氏がスタイリングを担当した308 GT4も、1976年にフェラーリ・ブランドへ変更される。3.0L V型8気筒エンジンは255psを発揮し、充分な能力を備えつつ、「マラネロのランボルギーニ・ウラッコ」とも影では呼ばれていたが。
レオナルド・フィオラヴァンティ氏が微笑む。「わたしも、そう思っていました」
高品質なものを得ることが難しかったFRP
正式に跳ね馬のエンブレムを冠した、初の量産V8ミドシップ・フェラーリをデザインするうえで、また同社史上唯一のFRP製ボディの公道用モデルを開発するうえで、何か印象深い課題はあったのだろうか?
「308 GTBは、軽量化のメリットを踏まえ、当初からFRPボディでした。それでも、初期のデザインからスチール製も可能ではありました。パネル製造を担う、(フェラーリの)レーシングカーで経験豊かなスカリエッティ社とも、緊密に連携していましたよ」

では、僅か1年でスチール製へ変更された理由とは。彼は、スタジオの入口に停めたフェラーリ308 GTBを指差す。「ハイライトのラインが1本見えますよね」。そして、手で波打つようなジェスチャーをする。「FRPだと、こんな感じです」
「高品質なものを得ることが難しかったんです。これが公式の理由。本当に」。更に続ける。「それに、フェラーリの英国と北米のディーラーが、腹を立てたんです。プラスティックはロータスのだってね」
18種類に及ぶフェラーリの遺伝子の起源
フィオラヴァンティとスタジオを出て、ここまで筆者が乗ってきたフェラーリ308 GTS クワトロバルボーレへ歩み寄る。陽光を受けて輝くボディを眺めながら、ディーノ246 GTSの販売成功を受けて、これが「自然な進化」だったと口にする。
サイドシルに沿った補強が、タルガトップで充分な剛性を担保していることへ彼は触れる。ルーフのカットラインの仕上がりには、特に満足しているという。取り外したルーフパネルは、シート後方の隙間へピタリと収まる。リアウインドウより下側に。

308 GTBは、その後に生まれる18種類に及ぶ公道用フェラーリの、遺伝子の起源となった。1987年に発売されたF40で、その系譜には幕が閉じられた。
自らの自伝「心の中のカヴァリーノ」を彼は取りに戻り、美しいページを見せてくれた。308やF40などが、美しく紙面にレイアウトされている。GTBやGTSのターボに、288 GTO、308 GTBのグループB ラリーマシンも載っている。









































































































































