イングリッシュ・コルベットの異名 トライアンフTR8(1) とんがりボディにV8エンジン 目標はラリーカーの量産版
公開 : 2026.06.07 17:45
とんがりボディのトライアンフTR7に、V8エンジンを押し込んだTR8。北米では高評価で、イングリッシュ・コルベットと呼ばれました。他方、英国仕様は経営不振で頓挫に。UK編集部が貴重な試作車に迫ります。
もくじ
ーあだ名はイングリッシュ・コルベット
ー耐久レースやラリーで優勝を掴んだTR7 V8
ーストライキに悩まされていたトライアンフ
ー目指したのはラリーカーの量産版
ーV8エンジンの最高出力は273psへ上昇
あだ名はイングリッシュ・コルベット
「彼らの要求によって、コーナリングも乗り心地も悪い、買い物グルマになってしまったようです。タイヤはすぐに鳴き、ボディロールは大きい。運転が楽しくありません」。1979年5月、トライアンフTR8へ試乗したAUTOCARは、落胆を隠さなかった。
ところが、その北米仕様はアメリカで称賛された。現地の自動車雑誌は「スポーツカーの再発明」と伝え、「イングリッシュ・コルベット」というあだ名も得ている。

一方で親会社、ブリティッシュ・レイランド(BL)社が陥った経営難により、TR8は充分な提供に至っていない。いかにも、同ブランドらしい結末といえる。
ウェッジシェイプ・ボディのトライアンフTR7に、3.5L V8エンジンを押し込んだだけでは、欧州市場で支持を集めることは難しかったはず。今回ご紹介する、ポセイドン・グリーンに塗られた1台は、それを想定して作られている。
耐久レースやラリーで優勝を掴んだTR7 V8
時代遅れになっていたスピットファイアの後継モデルは、計画がまったく進んでいなかったが、トライアンフにとって北米は要といえる市場だった。そこで、2.0L 4気筒エンジンを積んだTR7は、英国に先駆けて、1975年から彼の地で販売が始まっていた。
スタイリングを手掛けたのは、ハリス・マン氏。異論も巻き起こした大胆なウェッジシェイプだったが、アメリカ人は受け入れた。コンバーチブルの噂や、ビュイック由来のローバー社製V8エンジンを搭載した仕様の計画は、小さくない関心を呼んだ。

その後トライアンフは、レース参戦を目的にV8エンジン版の開発を進展。TR7 V8は、1978年4月にグループ4のホモロゲーションを取得している。
ペル・エクルンド氏など、名だたるドライバーがTR7 V8をドライブし、威圧的な排気音と圧倒的な速さでファンを魅了。1978年のイープル24時間レースや、マンクス・インターナショナル・ラリーなどで優勝し、注目を着実に高めた。
ストライキに悩まされていたトライアンフ
果たして1979年に、アメリカとカナダでコンバーチブルのTR8は発売される。TR7をベースに、オープントップのスタイリングは、巨匠ジョヴァンニ・ミケロッティ氏の手で印象を改善。3.5L V8エンジンは、インジェクション仕様で150psが発揮された。
大幅に増したトルクに合わせて、ギア比はロング化。サブフレームやブレーキが強化され、パワーステアリングを獲得し、改良されたラジエーターで冷却性能も高められた。

北米市場はTR8を歓迎したが、1970年末のトライアンフはストライキに悩まされていた。グレートブリテン島中西部、リバプールにある工場は、5か月にも及ぶストライキでまともに稼働していなかった。ブランドの終幕は、確実に迫っていた。
BLの会長、マイケル・エドワーズ氏は経営立て直しを掲げ、その工場を大胆にも閉鎖。TR7とTR8の生産は、中部のコベントリー郊外に位置したカンリーと、近郊のソリハルへ転々としている。この戦略に、北米では将来性を見出していたようだ。
































































































































