回顧録(1) いま知る ランチア・デルタ・インテグラーレと、その歴史

公開 : 2017.07.25 17:40  更新 : 2017.08.11 17:04

「F1カーさえ凌ぐ」

既に1980年代半ばには、ラリー界において揺るぎない実績を積み上げていたからだ。1970年代にも、ランチア・ストラトスが1974-6年のWRC 3連覇という偉業を達成している。

また、1983年には、ミッドシップの傑作、ランチア・ラリー037が、全盛期を迎える前の四駆勢を見事に押さえて優勝を飾った。ラリー037は、タイトルを獲得した最後の後輪駆動車となった。

同じ頃、「公道を走るF1」とも呼ばれるグループBカテゴリーのラリーが盛んになっていた。そうした動きに合わせ、ランチアも獰猛なデルタS4の開発を急いだ。


1985年にRACラリーでデビューしたS4。エンジンは直列4気筒DOHCミッドシップだが、ターボチャージャーとスーパーチャージャーのツインチャージャーを装備し、徹底したレースチューンを施すことにより、排気量は1759ccながら、最高出力は568ps、当時1000psと言われたF1カーさえ凌ぐ加速性能を誇る怪物四駆マシンだった。

アレンと同様にフィンランド出身で「伝説のラリードライバー」「夭折の天才」とまで言われたヘンリ・トイヴォネンがいる。

1986年のことだが、F1モナコGPが開催されるモンテカルロ市街地コースをS4でエキシビジョン走行し、当時の予選グリッドで6位に相当するタイムを叩き出したという逸話がある。S4はたいへんなじゃじゃ馬だったため、乗りこなすことができるのはトイヴォネンだけだとまで言われた。

だが、そのトイヴォネンさえ、S4を手なずけることはできなかった。同年5月にフランスのコルシカ島で開催されたツール・ド・コルスで惨事は起きた。

この競技は1956年から開催されている伝統のあるラリーであり、最初から最後までコーナーが連続するステージとして知られる。

5月2日、ヘンリ・トイヴォネンとコドライバーのセルジオ・クレスが乗るランチア・ワークスのS4がコースオフし、崖からの転落して炎上、二人は死亡した。トイヴォネンは、レース前に「この危険なコースにこのクルマはあまりにも速すぎる」と語っていた。

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