回顧録(1) いま知る ランチア・デルタ・インテグラーレと、その歴史

公開 : 2017.07.25 17:40  更新 : 2017.08.11 17:04

キールダー復活、あり得る?

その年のRACラリー終盤、サービスエリアで気をもんでいたフォードのモータースポーツ部長、ピーター・アシュクロフトがランチア・チームについて評し、やや不吉な予言を残している。

「ランチアティームは鼻息が荒くて、ごうまんに見えるほどだ。好きな時に、好きな場所で、好きなだけ速いタイムを叩き出すことができると信じているのではないか。それでも、時代の流れは誰にも止められない」。事実そうだった。

ランチアが1991年末の公式撤退表明後も、エヴォリューション・モデルがランチアの戦闘力を支えていた。

ランチアは、撤退後の1992年、マルティーニとともにイタリアのジョリー・クラブをサポートする一方、インテグラーレとしては5回目、HF 4WDを含めたデルタとしては6回目のWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンに輝いた。

また、ドライバーズ部門では、前述のようにカンクネンが1987年(HF 4WD)と1991年(インテグラーレ16v)、また唯一のイタリア人世界チャンピオンであるミキ・ビアシオンが1988年(HF 4WD/インテグラーレ8v)と1989年(インテグラーレ8/16v)、計4回タイトルに輝いている。

だが、それ以降は、最初はトヨタに、次にスバル三菱に押され、ランチアは精彩を失っていく。
 

 
それにしても、なんという走り!なんというクルマだろうか!!

スコットランド国境までの最後の4、5kmの道のりは、周囲がそれまでよりも開けている。

国境を越え、スコットランド側を爆走していると、1991年のRACに関するオートスポーツ誌の記事の書き出しが頭をよぎった。「キールダー……。それは、世界で最も苛酷なラリー・コースだ」。

空気の湿った11月の夜。挑戦者たちの夢と野心を容赦なく喰らい、引き裂いた魔の森。

予算をめぐってウェールズ政府との軋轢が続くラリーGB。2014年以降、名乗りを上げているイングランド北東部のヨークシャーにステージの一部またはすべてが移れば、ラリーGBにおけるキールダー復活も大いにあり得る話だ。そして、魔の森が現代に蘇る……。

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