回顧録(1) いま知る ランチア・デルタ・インテグラーレと、その歴史

公開 : 2017.07.25 17:40  更新 : 2017.08.11 17:04

「魔の森」の虎口へ

北部イングランド最大の都市、ニューカッスルを早朝に出発し、スコットランド国境に向かって北上する。荒涼とした景色の中、幹線道路を走るが、行き交う車はほとんどない。

オーターバンでA696号線から外れると、少し変化が出てくる。A696号線を左に折れ、B6320に沿ってリディ川を横切る方角へ向かうと、A68号線を越えるまで上り坂だ。

A68号線を越えても全体としては上り坂が続くものの、それまでとは異なり、アップダウンが多い。見渡す限り荒野が広がり、この辺りの最高地点である海抜330メートルのハーショーヘッドの眺望は特に壮観だ。眼下にはキールダーの森が広がる。

この広大かつ鬱蒼とした森は、大昔から存在していたわけではない。

1920年代に植林事業が始まるまではただの荒野であり、植林のおかげで650平方km、森林としてはイングランド最大、人工林としてなら欧州最大の大森林地帯が形成された。RACラリーにまつわる数々の伝説が生まれるのにも十分な期間だった。

いつしかB6320も外れ、グリーンホー、その先にあるレーンヘッドを目指す。しばらくは緩やかな勾配だったが、小川や水路を縫って走るワインディングを下っていく。

C200に入り、ノースタイン川を渡り、川に沿ってキールダー・ウォーターとキールダーの森の中心部を目指す。ホットから湖畔のヤーロームーアまでの道は比較的平坦だが、ブラインドやタイトコーナーもある。エヴォ2なら、コーナリングとその間のストレートを安心して楽める。

パワステは、アシストがかなり弱めなので、スローダウンしないと気がつかないほどだが、その分、レスポンスに優れている。ステアリングホイールは、ごついMOMOで、フィーリングは完璧だ。

わずかな操作で、速度を落とすことなく、ワイドなノーズを的確にコーナーの入り口に向け、瞬時にコーナーを抜けていく。アルカンターラを使ったレカロシートの座り心地が素晴らしい。コーナーを果敢に攻める間も上半身を十分にサポートしてくれる。


ダッシュボードについては、所狭しと並ぶメーターとライトが印象的なものの、質感がいかにもプラスチックっぽく、角張っていて高級感に欠ける。

速度計はかなり左側に寄っており、目盛りは9時の位置から時計回りだ。タコメーターも時計回りだが、速度計とは違って3時の位置から始まり、6000rpmからレッドゾーンだ。

速度計とタコメーターの間には、バッテリーメーター、燃料計、水温計、そしてターボのブースト計が並ぶ。右側の少し離れた位置に油圧計と温度計もある。控え目に言っても「雑然」とした印象だ。

早くも進行方向左前方から「魔の森」が迫ってくる。広大なキールダー・フォレスト南東部の一角にパンダーショウ・ステージがあり、往年のRACラリーで中心的な役割を果たしていた。

1988年のRACラリーに話を戻そう。魔の森に神経をとがらせていたマルク・アレンは、雪に閉ざされた森の中をスタートする時点で後続を5分リードし、首位に立っていた。

だが、キールダー・ウォーターの東側にある最初のブルーミリン・ステージでサードギアが破壊された。オートスポーツ誌のラリー担当編集者、キース・オスウィンによれば、われわれが今、走っている幹線道路も雪で「やっと1台が通れるかどうか」だったという。

そんな状況の中、ランチアのメカニックは渋滞を何とか切り抜け、故障したクルマを木立の中に入れ、ギアボックスを30分以内に交換したという。

ブルーミリンで1分ロスしたアレンは、キールダー・ウォーターの南東にあるホワイトヒル・ステージでもさらに2分遅れた。パンダーショウ・ステージが終わると、無念にも、ハンヌ・ミッコラ(マツダ323 4WD)とユハ・カンクネン(セリカST165)に首位の座を明け渡していた。

アレンと同じフィンランド出身のミッコラは、1983年世界ラリー選手権ドライバーズ・チャンピオンであり、RACラリーに4回優勝した超ベテラン・ドライバーだった。やはりフィンランド出身のカンクネンは、前年と前々年、そして1991、1993年の4回、ドライバーズ・チャンピオンに輝いた「ラリー界の帝王」だ。

だが、その年のアレンは、致命的なダメージを受けることなく、「魔の森」の虎口を脱することに成功する。

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