フィアット500

ここにノミネートされたクルマの多くが、最初からアイコンとしての地位を狙っていたわけではなく、実用性を発揮してひとびとの役に立つことで、その称号を手に入れている。そして、初代フィアット500もまさにそんなモデルだった。

1930年代の500トッポリーノからその名を譲り受け(イタリア語でチンクェチェントだが、すでにご存じだろう)、シンプルで低価格、そして、ドイツ人にとってのビートルのように、イタリア人のための実用モデルとしてこのクルマは誕生している。

そうした意味において、このクルマをスタイリング上のアイコンにしている、曲線を多用した愛らしいルックスは偶然の産物だった。ダンテ・ジアコーザがこのデザインを採用したのは、戦後のイタリアでは高価だった鉄の使用量を削減するため、可能な限り少ないシートメタルでボディを構成しようとしたからであり、巻き上げ式のファブリック製ルーフも、単にファブリック素材がスチールよりも安価(そして軽量)だったからに過ぎない。

オースチン・ミニがパッケージに革命をもたらしたとされているが、500のほうが、この英国のライバルよりも、短い全長と幅の狭いボディを持っていた。デザイン案では、3m以下の全長に加え、さらに、4人が最低限乗ることのできるボディサイズとされており、実際にそれを実現してもいるが、リアシートの広さは低価格が売りの航空会社の座席程度だった。さらに、ジャルディニエラと呼ばれたエステートモデルも存在しており、ホイールベースは4インチ(約10cm)延長され、エンジンはトランク下に寝かせて搭載されていた。


第2次世界大戦後のイタリアにおけるモータリゼーションを主導したのは500だったと言っても過言ではない。1949年、イタリア国内の自動車普及率は国民96人に対して1台に留まっていたものが、1963年まで続いた「奇跡の経済」の後には、11人に1台にまで増加しており、その原動力となったのが、500の手ごろな価格だった。

すべては、可能な限りシンプルで手ごろな自動車を創り出すことにあった。500は史上もっとも単純なクルマの1台として広く認識されており、カムベルトやスパークプラグといった交換部品は、イタリアの地方都市では雑貨店にも置いてあるほどだった。

その低価格とは裏腹に、500のエンジニアリングは決して中途半端なものではなかった。モノコックボディとリア独立懸架がそれを示すとともに、アルミニウム製空冷2気筒エンジンは、フェラーリのレース用V12エンジンも手掛けた人物が設計している。

最初期の470ccエンジンの出力はわずか13psに留まるが、85km/hという最高速には十分なものであり、1958年には、499ccから22psを発揮するエンジンがスポーツ向けに登場している。

現行500同様、この小さなシティカーにもアバルトが魔法をかけ、595とさらに強力な695が登場しているが、695ではボアを690ccにまで拡大することで、その出力は39psにまで引き上げられていた。驚くほど希少で人気の高いこの2台は、カルロ・アバルトとフィアットのパートナーシップから生まれた、もっとも有名な存在だろう。

1975年の生産終了までに、スタンダードモデルも徐々に性能を上げていくにつれ、シンプルさも失われていったが、それでも、その基本的な特徴が変わることはなかった。最終的には400万台近く生み出されたものの、ほぼ2倍の生産期間を誇ったミニには140万台ほど及ばない。

小さな500は丈夫で長持ちしたことで、ベスパ同様、イタリア文化の一部となっていった。この素晴らしい小さなフィアットは(ミニと同じく)2007年に見事な復活を遂げている。
(ローレンス・アラン)

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