【Mr.モナコと呼ばれた男】 F1グランプリの知られざる写真家 前編

2019.12.14

サマリー

小さな地中海の公国で、レースシーンの撮影に邁進したミハエル・ヒューイット。F1サーカスと一緒に世界を回らなかったため、広く知られることはありませんでしたが、モナコでは多くの交友を持ち、貴重な映像を残してきました。

もくじ

もとは青果店を営んでいたカメラマン
フェンスを飛び越えてサーキットへ侵入
モナコ公国ロイヤルファミリーとの交友
捨てた入賞しなかったマシンのフィルム

もとは青果店を営んでいたカメラマン

text:Jack Phillips(ジャック・フィリップス)
photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)/Michael Hewett(ミハエル・ヒューイット)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
「これもわたしの写真です。これも、こちらも」 聞き慣れない声だ。かつてのF1レーサー、ジョン・サーティースがモナコサーキットでフェラーリに乗っている写真を、ミハエル・ヒューイットが指していた。

ロンドンに本部を構える英国王立自動車クラブに飾られているフレームの多くは、イタリアの跳ね馬が中心。カメラマンのキース・サットンとマーク・ディケンズが撮影した写真ベースの作品が目立つ。

自身が撮影した写真を見つめるミハエル・ヒューイット
自身が撮影した写真を見つめるミハエル・ヒューイット

カメラマンをミハエル・ヒューイットの首元には、モナコ公国の紋章と国旗の配色が施されたネクタイが巻かれていた。彼の名刺には、写真家であることが記されていた。そんな出会から数カ月後、ヒューイットと自宅を尋ねることになった。

玄関を開けると、熱心なF1ファンでもある筆者ですら、初めて見る写真で壁が覆い尽くされていた。フランスのバーナード・カイエやドイツのレイナー・シュルゲルミルヒのように世界中のF1サーカスを追いかけなかったヒューイット。彼の撮影したフィルムが、さほど高く評価されていない理由でもある。

もともとヒューイットは青果店を営んでいた。実家も果物や野菜の取引を営んでいたという。彼の写真に対する説明は謙虚なものだったが、毎年グランプリの決定的な瞬間を収めていた。モナコ中のすべてのエリアに立ち入って撮影しているようだ。

フェンスを飛び越えてサーキットへ侵入

「1950年代には、雨のクリスタル・パレスに向かいました」 ヒューイットの言葉のアクセントは、南ロンドン流。「1週間後に雑誌のオートスポーツを見たのですが、写真はあまり良いものではありませんでした」

「そこで翌年、コダック・レチネッテ・フィックスドレンズのカメラを持って、写真を撮ったんです。写真撮影という仕事が楽しいと、そこで思いました。わたしの友人がチャタムの街でカメラ店を営んでいたので、暗室で現像方法などを教えてもらいました」

ミハエル・ヒューイットが撮影した写真
ミハエル・ヒューイットが撮影した写真

その後すぐにヒューイットはモナコ宮殿の暗室も使わせてもらうようになる。だがその前に、グランプリ・レースの撮影をしたのは、イギリス・グランプリだった。「サーキットの傍らで野宿をして、朝早く起きました。サーキットの外へ出てみると、沢山の露店がすでに並んでいました」

「新聞やお菓子、タバコなどの露店です。彼らにどこから来たのか尋ねられ、野宿したことを答えると、裏座敷があるから明日はそこで寝ると良い、と案内してくれたのです。翌年からはそこで寝るようになりましたよ」

「その年は、サーキットのフェンスを飛び越えて侵入していたので、パスも持っていませんでした。右も左もわかりませんでしたが、何も書かれていない緑色のパスだけは持っていました。一度、地元紙に招かれて、カバー写真を頼まれた時にもらったものでした」

 

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