【傑作の2代目】フォルクスワーゲン・ゴルフII  前輪駆動/ハッチバック、確立した「ふつう」

公開 : 2020.01.25 05:50  更新 : 2021.10.09 22:40

1974年5月に発表された初代フォルクスワーゲン・ゴルフは、今日まで続くハッチバック車の雛形となりました。勢いに乗った2代目VWゴルフにフォーカスを当て、モデルの多角化など、成功した理由を探ります。

ベーシックカーの基盤となった初代ゴルフ

photo:Koichi Shinohara(篠原晃一)

セダンの起源をはっきりと特定することは難しいが、今日まで続くハッチバック車の雛形となった1台ははっきりとしている。

1974年5月に発表された初代フォルクスワーゲン(VW)ゴルフがそれである。

直線的な造形によってすっきりした見た目と実用性を両立したゴルフI。FF/2ボックスというゴルフのスタンダードは初代で確立され、歴代のモデルに受け継がれている。
直線的な造形によってすっきりした見た目と実用性を両立したゴルフI。FF/2ボックスというゴルフのスタンダードは初代で確立され、歴代のモデルに受け継がれている。

60年代の終わりごろ、大衆車メーカーは将来の小型車の基盤を模索していた。

イギリスのBLMCはミニの後継を模索していたが、これといった決定打がなかった。フィアットはリアエンドに置いていた横置きのパワートレインがそのままミドシップやFF車に転用できる可能性に気づきはじめていた。

一方戦前からビートルことタイプ1を作り続けてきたVWは、いよいよリアエンジン・レイアウトにも、空冷水平対向というエンジン形式にも限界を感じ、水冷エンジン縦置きFFのK70とパサートをデビューさせ、その後横置きの新型車に活路を見出す。

横置きFF車の代表と言えば70年代でもミニの存在感が大きかった。だがミニとゴルフにはトランクスルーの荷室以外にも違いがあった。

究極のミニマムを追求したミニに対し、ジウジアーロがパッケージング全体を手掛けたゴルフは、4ドアを許容し、新時代のベーシックカーに必要とされる十分なスペースを持ったCセグメント・ハッチとして作り込まれていたのである。

時代の勢いに乗った2代目VWゴルフ

ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが手掛け、コンパクトカーと呼ばれる新たなクラスを作り上げたVWゴルフ。

新時代のFF/2ボックス車はビートルの後継として受け入れられ、デビューから2年以内に50万台以上の大ヒットを記録した。

ゴルフ2の最強グレードであるGTi。ゴルフ2ではツインカムエンジンを搭載した。グリル周りに赤いラインを入れる伝統は7代目ゴルフでも健在だった。
ゴルフ2の最強グレードであるGTi。ゴルフ2ではツインカムエンジンを搭載した。グリル周りに赤いラインを入れる伝統は7代目ゴルフでも健在だった。

市場にはゴルフに当て込んだライバルたちが次々と登場していたこともあって、1983年に行われたゴルフ自身の代替わりは当たり前のようにキープコンセプトが貫かれていた。

2代目のキャッチコピーは「Von Golf zu Golf”(ゴルフからゴルフへ)」。ゴルフIIのスタイリングはVW社内のデザイン部門が手掛けたもので、全長が250mm、全幅が50mm、ホイールベースが70mmほど拡大された他、空力実験の結果を受けて全体的に丸みを帯びたものになっていた。

高度成長の波に乗り、再び大成功を収めたゴルフII。このクルマのトピックは時代に先んじた生産設備にもあった。

VWのウォルフスブルグ工場に新設されたゴルフIIの製造ラインはことごとく機械化されており、ロボットをコンピューターが管理し、それをわずかな人数で監視するという今日の自動車製造にも通じるスタイルがとられていたのだった。

クオリティを高め、利益率を上げる努力もそこには含まれていたのである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。

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