ロータスMk VI ブランドの分岐点 1097ccのクライマックス・ユニット 後編

公開 : 2022.02.05 07:06  更新 : 2022.08.08 07:16

スポーツカーとしてロータスの基盤を築いたといえる、Mk VI。レストアされたばかりの1台を、英国編集部がご紹介します。

初期型のリアタイヤが覆われたリアカウル

1097ccのコベントリー・クライマックス社製4気筒エンジンを搭載する、ロータスMk VI。オーナーのアレックス・ポスタン氏によって、レストアが仕上げられたばかりだ。

リア・バルクヘッドに2基のアルミ製燃料タンクが載っているが、本来はリアアクスルの低い位置に搭載され、薄いアルミ板のみで保護されていた。アクシデント時は、真っ先に損傷を受けるような場所だった。

ロータスMk VI(1952〜1957年/英国仕様)
ロータスMk VI(1952〜1957年/英国仕様)

このMk VIは、ロータスが最初に工場を構えたロンドン北部、ホーンジーの街で仕上げられたクルマではない。工場の職人の手で組み立てられたのは、ロータスのワークスカーのみだった。

ポスタンのMk VIを確認していくと、年式が入り混じった特徴的な仕様が興味深い。ボディは初期型らしく、リアタイヤが完全に覆われた丸みを帯びたリアカウルを備えている。基本的には、1953年以降は提供されていないものだ。

そこに、1955年以降のオプションとして選べた、オールアルミSOHCのクライマックス・エンジンが載っている。油圧式のブレーキにはツインシューが組まれ、ラジアルフィン付きのアルミ製ドラムが与えられている。

ワイヤーホイールは、レーシングカーのMk VIII用に開発された後、1954年からMk VIにも提供されるようになったもの。オリジナルでは、フォード・ポピュラーと同じ17インチのプレス・ホイールを履いていた。

最終的に約90台分が制作されたMk VI

コーリン・チャップマン氏のために作られた最初のロータスMk VI、MXL 6は、1952年6月5日にシルバーストーン・サーキットで開催されたMGカークラブイベントを、2位でゴール。最終的には完走扱いにならなかったが、Mk VIへの注文につながった。

レースから4日後、走りに感銘を受けたフィリップ・デソーター氏がホーンジーのロータス工場を訪問。100ポンドの手付金を支払い、1台を注文した。

ロータスMk VI(1952〜1957年/英国仕様)
ロータスMk VI(1952〜1957年/英国仕様)

もう1台、Mk VIはチャップマンに協力したフィリップ・デソーター氏へも作られていたが、友人同士で楽しむ小さなスペシャル・モデル・ビルダーから、事業としてのスポーツカー・メーカーへとステップアップした瞬間だった。ブランドの節目といえるモデルだ。

Mk VIが6台は売れるとチャップマンが考えたであろう1952年9月25日、ロータス・エンジニアリング社は創業。「ロータス・カーズの、基礎といえる姿を体現しています」。とMk VIのオーナー、ポスタンが話す。

「6台目以降のシャシーを製造した、プログレス・エンジニアリング社に努めていたデイブ・ケルシー氏によれば、初めに4台のシャシーを制作し、2台追加されたそうです。それで需要は終わりだと考えていたようですが、最終的に約90台分が作られました」

当時のロータスは、完成した状態でMk VIを販売することはなかった。その頃の英国で新車へ掛けられていた60%という税率から逃れる目的で、キットカーとして販売された。自宅のガレージでの組み立てが前提だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ポール・ハーディマン

    Paul Hardiman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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