同じ出発点 異なる到達点 ランチア・ガンマとシトロエンCX 協力関係が生んだ2台 前編

公開 : 2023.05.21 07:05

3年でシャシーを再設計したランチア

新モデルの開発が進む一方、フィアットの上層部はシトロエンとの協力関係が自分たちへ不利になりそうだと気付き始めていた。当時のフィアット会長、ジャンニ・アニェッリ氏は、1972年のトリノ自動車ショーで不満へ言及。関係悪化は割けられなかった。

ミシュランは、1973年6月にフィアット株の一部を購入。ランチアとの協力関係は破談となり、結果的に1975年からプジョーがシトロエンの親会社になっている。

レッドのシトロエンCX 2400 GTiと、シルバーのランチア・ガンマ・ベルリーナ
レッドのシトロエンCX 2400 GTiと、シルバーのランチア・ガンマ・ベルリーナ

最終的に、シトロエンはCXへ設計の古い直列4気筒エンジンを選んでいる。ランチアの水平対向4気筒エンジンは、以前から信頼性の評判が良くなかった。ロータリーエンジンも想定され、エンジンルームは必要以上に大きくしたくない考えもあった。

ランチアの技術者も、重く複雑なハイドロ・サスペンションの採用が見送られたことへ安堵したことだろう。彼らは3年でシャシーを再設計。ベータ譲りとなる、フロントがマクファーソンストラット式、リアがストラット式のコイルスプリングへ改めた。

開発チームを率いたセルジオ・カムッフォ氏は、過去にベータを2年で仕上げていた。短期間での進行には慣れていたのかもしれない。シトロエンとのパートナー関係が、両社の足を引っ張ったことは間違いない。

水平対向4気筒エンジンの設計を担当したのは、エットーレ・ザッコーネ・ミナ氏。1969年にフィアットへ買収されたランチアは、それまで新エンジンの開発計画を持っていなかった。

信頼性に課題があった水平対向ユニット

コンパクトな4気筒ユニットは新設計ながら、先代のフルビアに搭載されていたのも水平対向ユニットで、自然な展開といえた。フロントアクスルより前方に搭載するという、レイアウトを想定した決定でもあった。

タイミングチェーンを採用し、ヘッドはシングル・オーバーヘッド・カム。カムシャフト駆動のパワーステアリング・ポンプが組まれ、ステアリングへ強い負荷が掛かるとカムタイミングが狂い、エンジンを駄目にする可能性をはらんでいたが。

レッドのシトロエンCX 2400 GTiと、シルバーのランチア・ガンマ・ベルリーナ
レッドのシトロエンCX 2400 GTiと、シルバーのランチア・ガンマ・ベルリーナ

シリンダーはオーバースクエアで、排気量は2484cc。当時は世界最大の4気筒ユニットでありながら、水平対向のおかげで高さを抑えられた。フロントノーズは滑らかに傾斜し、空気抵抗を示すCd値は0.37と優秀といえた。CXより0.01高いだけだった。

ガンマ・ベルリーナの車重は1320kgと比較的軽く、操縦性にも優れていた。エンジンの信頼性が高ければ、多くの支持を集めた可能性はある。同クラスに位置するCXは1974年に発表されていたが、1976年までに10万台以上が売れている。

ただし、当初はターゲット層が異なっていた。当初のCXは、DSと同じキャブレター・エンジンしか選べなかった。ガンマに並ぶ動力性能を持つ、最高出力130psを誇るGTiが登場するまで、3年を待つ必要があった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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