当時は「住宅12戸分」の価格 ベントレー 3 1/2リッター 90年前の富豪の理想(1)

公開 : 2023.12.16 17:45

性能と豪華さ、理想の条件が揃った1930年代のベントレー シンプルで優雅、伸びやかなボディ 美しく芸術品のようなインテリア 英国編集部が5種をご紹介

性能と豪華さ 理想の条件が揃ったベントレー

1930年代の英国。一財を築いた親の息子として生まれたら、速くて高品質なクルマが欲しくなる。ロールス・ロイスは真っ当な選択だろう。ラゴンダは、ちょっと斬新。アルヴィスやサンビームも優秀ではあるが、中流階級的といえた。

そこで光が当たるのが、名門ベントレー。1933年に新しいモデルが発表され、性能と豪華さを両立。コーチビルド・ボディで徹底的な差別化も可能という、理想的な条件が揃っていた。

ベントレー 3 1/2リッター・スラップ&メイバリー 2ドアサルーン(1934年式/英国仕様)
ベントレー 3 1/2リッター・スラップ&メイバリー 2ドアサルーン(1934年式/英国仕様)

庶民が住む集合住宅なら12戸分を用意できる金額でありながら、ベントレー 3 1/2リッターと、その改良版の4 1/4リッターは、驚くほどの成功を残した。6年間に、2400台以上が販売された。

第二次大戦で世界が混乱するまで、実業家や政治家、俳優、貴族、パイロットやレーシングドライバーから選ばれた。その親会社だったのは、名門ロールス・ロイスだ。

世界恐慌で経営不振に陥ったベントレーは、航空機エンジンで業績を伸ばしていたネイピアと合併協議を進めていた。有能な技術者、ウォルター・オーウェン・ベントレー氏は、ネイピア・ベントレーのもとで新モデルを提供する可能性があった。

ロールス・ロイスはその噂を知り危機感を抱き、英国中央株式信託という架空会社を立ち上げ、買収へ参画。ネイピア側が示した、12万5256ポンドを2万ポンド上回る金額を提示し、ベントレーを傘下に収めた。

ザ・サイレント・スポーツカー

その新体制で提案されたのが、ひと回り小さいロールス・ロイス。コードネーム「ペレグリン」という試作車が作られたが、スーパーチャージャーで過給される2.4Lエンジンは、期待通りの結果を発揮しなかったようだ。

代わりに選ばれたのが、ロールス・ロイス20/25HPで定評のあった、既存の3669cc直列6気筒。クロスフロー・シリンダーヘッドと新しいカムシャフト、軽量なピストンとツインSUキャブレターが与えられ、当時は非公表だったが、115psを発揮した。

ベントレー 4 1/4リッター MR/MXシリーズ・パークウォード 4ドアサルーン(1939年式/英国仕様)
ベントレー 4 1/4リッター MR/MXシリーズ・パークウォード 4ドアサルーン(1939年式/英国仕様)

切り替えできる2基の燃料ポンプを備え、ツインコイルで信頼性も高められていた。シャシーには、前後アクスルに半楕円リーフスプリングが組まれ、ブレーキサーボを装備。1か所の注油で、必要な足まわりの潤滑をまかなうことができた。

ラジエターは、創業初期のベントレーへ忠実なデザインを採用。サーモスタットで稼働する、シャッターも備わった。開発テストは、英国の公道やブルックランズ・サーキットだけでなく、フランスでも実施。発売直前まで調整が加えられた。

ベントレー 3 1/2リッターの最大のストロングポイントは、技術力と製造品質。リーフスプリングにはカドミウム・メッキが施され、丁寧に磨かれていた。シャシーの各コンポーネントも、美しく設計されていた。

営業部門の1人は、このモデルへ「ザ・サイレント・スポーツカー」というキャッチコピーを与えた。実際は静かではなかったし、スポーツカーでもなかった。とはいえ、当時の基準では前例がないほど洗練されていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・テイラー

    Simon Taylor

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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