米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 後編 雑草に埋もれた半世紀前の名車たち

公開 : 2024.08.03 18:25

60年の歴史を持つ米国のジャンクヤードで見つけた「廃車」。朽ちかけたベストセラー車から植物に覆われてしまったものまで、時間の流れを感じさせる興味深い40台を紹介する。

シボレー・ベルエア(1958年)

(この記事は後編です。前編の「米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 前編 朽ちていく半世紀前のアメ車たち」もぜひお読みください)

何十年もの間、同じ場所に置かれている1958年型シボレー・ベルエア。床がウィスコンシンの土に埋まるほど深く沈んでしまい、シルはスイスチーズのように溶けている。

シボレー・ベルエア(1958年)
シボレー・ベルエア(1958年)

この4ドア・セダンは49万1000台以上売れ、同年のシボレーのベストセラーモデルとなり、ライバルであるフォードから販売台数トップの座を奪還するのに貢献した。

ポンティアック・カタリナ(1966年)

取材班がクーリーズ・ステートワイド・スクラップ&サルベージを訪れたとき、ヤードの一部は下草に飲み込まれていた。この1966年型ポンティアック・カタリナはまだ見ることができたが、周囲のクルマはほとんど草木に埋もれてしまっている。こうなると、見逃しているかもしれない隠れた名車が気になるところだ。

ポンティアック・カタリナ(1966年)
ポンティアック・カタリナ(1966年)

スチュードベーカー・チャンピオン(1950年)

これは1950年に製造された4万6027台のチャンピオン・デラックスのうちの1台で、同年のスチュードベーカーの総生産台数の約15%を占めている。1950年は絶好調で、スチュードベーカーの販売台数は32万1000台に達した。残念ながら、その後数年のうちに10万台を越えることも難しくなった。

スチュードベーカー・チャンピオン(1950年)
スチュードベーカー・チャンピオン(1950年)

マーキュリー(1946年)

マーキュリーはエドセル・フォード氏によって1938年に設立され、写真の1946年型が出荷されたころはまだ歴史は浅かった。この4ドア・セダンは第二次世界大戦中の中断を経て、1945年11月に生産が開始された。約8万7000台が販売され、マーキュリーは米国で10番目に人気のある自動車ブランドとなった。

マーキュリー(1946年)
マーキュリー(1946年)

パッカード(1952年)

紛らわしいことに、まったく同じ色をした1963年型シボレーのボンネットが載せられているが、当然ながら別物。1952年式のパッカード200の4ドア・セダンだと思われるが、この角度から見ただけではよくわからない。非力なV8エンジンを搭載する、節約仕様のエントリーモデルだった。

パッカード(1952年)
パッカード(1952年)

キャデラックの霊柩車(1971年)

1971年型キャデラックの霊柩車はヤードの入り口にあるため、レストアの対象となる可能性がある。部品などはしっかり残っており、コンディションもかなり良い。キャデラックはこの年、コーチビルダーに2014台の商用シャシーを供給しており、そこから生まれた非常に珍しい車両である。

オハイオ州に本拠を置くプロ向け自動車メーカー、ミラー・メテオが製造したものだ。同社は1984年の映画『ゴーストバスターズ』で使用されたキャデラックの救急車を製造したことでよく知られている。

キャデラックの霊柩車(1971年)
キャデラックの霊柩車(1971年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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