あのスバル軽自動車も 史上最も希少な量産モデル 21選(後編) ジープからフォルクスワーゲンまでメーカー別
公開 : 2025.12.27 11:45
大量生産を狙ったにもかかわらず、さまざまな理由から「少量生産」にとどまったモデルをメーカー別に紹介します。BMWやフォルクスワーゲンのような大手メーカーですら、意図せず希少車を生み出してしまうことがあるのです。
もくじ
ージープ:CJ-6(生産台数5万172台、1955-1975年)
ーキア:エラン(生産台数1056台、1996-1999年)
ーランボルギーニ:シルエット(生産台数54台、1976-1979年)
ーリンカーン:ブラックウッド(生産台数3356台、2001-2002年)
ーメルセデス・ベンツ:W188(生産台数760台、1951-1958年)
ーポルシェ:912E(生産台数2092台、1976年)
ーサーブ:ソネット(生産台数6台、1955-1957年)
ースバル:R1(生産台数1万501台、2005-2010年)
ートヨタ:BXD20 メガクルーザー(生産台数149台、1996-2001年)
ーボルボ:P1900(生産台数67台、1956-1957年)
ーフォルクスワーゲン:カントリーバギー(生産台数1956台、1967-1968年)
ジープ:CJ-6(生産台数5万172台、1955-1975年)
1948年に発売されたブルックス・スティーブンス設計の初代ジープスターは、しばしばジープのモデルと見なされるが、実際には親会社であるウィリス・オーバーランドから販売されていた。1948年から1950年にかけて1万9132台が生産され、確かに少数ではあるものの、ジープスターを「ジープで最も希少なモデル」と呼ぶのは正確ではない。
その栄光(?)はCJ-6のものだ。CJ-5のロング版で、ホイールベースを20インチ(約50cm)延長している。しかし、需要は少なかった。20年にわたる長い生産期間で販売されたのは、5万172台だ。

キア:エラン(生産台数1056台、1996-1999年)
キアはロータスからM100エランの権利を購入し、数回の改良を加えた上で1996年に発売した。リアランプを再設計(ロータスはアルピーヌ製クラスターを採用していた)し、いすゞ製1.6Lエンジンから自社製1.8Lエンジンに換装している。キア・エランは1056台が生産され、大半は韓国国内向けだが、一部は英国や日本にも輸出された。

ランボルギーニ:シルエット(生産台数54台、1976-1979年)
イタリアのデザイン会社ベルトーネは、ランボルギーニ・ウラッコをベースとする、シルエットというタルガトップモデルの設計に携わった。1976年に発表されたシルエットは、ウラッコと多くの部品を共有していたが、あくまでも別のモデルとして販売された。生産台数は54台に過ぎず、同社の歴史において目立たない存在だが、一般向けに販売されたランボルギーニ初のオープントップモデルという点で重要だ。
シルエットは、ランボルギーニの限定生産モデルよりも希少である。例えば、2019年発表のハイブリッド車シアンは63台限定だ。

リンカーン:ブラックウッド(生産台数3356台、2001-2002年)
フォードF-150をベースにしたリンカーン・ブラックウッドは、あまりにも不評だったため、米国では2002年モデルイヤーのみ販売された。メキシコ市場では2003年モデルイヤーに再登場したが、3356台で生産中止に。見た目に反して実用性が低かったことが不振の理由だ。特に後輪駆動のみという設定と、カーペット敷きの荷台を備えている点が不評だったようだ。

メルセデス・ベンツ:W188(生産台数760台、1951-1958年)
「W188」という開発コードネームで呼ばれた300Sは、1951年のデビュー当時、メルセデス・ベンツのラインナップの最上位に君臨していた。4ドアのW186と一部部品を共有するが、はるかに豪華で、それに応じて価格も高かった。1955年には改良型300 Scが登場し、クロームメッキの装飾の追加や燃料噴射装置の採用などさまざまな改良が施された。価格もそれに伴い上昇し、まさにステータスシンボルとなった。
W188は1950年代のメルセデス・ベンツの中で最も高価なモデルだった。1951年から1958年にかけて760台が生産され、内訳はクーペ314台、コンバーチブル446台である。これは1954年から1957年にかけて3258台が販売された名車300 SL(W198)よりも希少だ。





































