共産主義が生んだ奇抜なクルマ 21選 東欧メーカーの名車・珍車紹介
公開 : 2025.03.16 18:45
オルトシット(1981年)
オルトシットは2ドアのシトロエン・ヴィザに似ている。実際、ヴィザの関係性はまったくないわけではない。ルーマニア政府が小型の低価格車の開発にシトロエンの協力を要請したとき、同社は古い「Y」プロジェクトの設計図を引っ張り出してきた。1970年代初頭にアミ8の後継車としてフィアットと共同開発したものの、結局日の目を見なかったプロジェクトだ。プジョーがシトロエンを買収した際、コスト削減のため104のシャシーを使用することになったため、Y計画は中止となった。
Y計画は、思いがけずルーマニアで活躍するチャンスを得た。オルトシットのベースモデルには652ccのフラットツインエンジンが搭載されたが、その他の部品はヴィザと共有していない。上級モデルには、GSAのフラット4エンジンが搭載された。シトロエンはルーマニアで製造されたモデルを、欧州の一部の市場でアクセル(Axel)という名称で販売したが、期待を大きく下回る結果となっている。

シトロエンは、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク政権が崩壊した翌年の1990年に、同国政府との提携を解消した。しかし、オルトシットの製造は1995年まで続けられた。
ダチア・スポーツ(1983年)
ダチアは、短期間のうちにルノー12をベースとする多様なモデルファミリーを展開した。セダンとワゴンに加えて、1970年代半ばには2ドアと4ドアのピックアップトラックが追加されている。中でも、最も興味深いモデルは、1983年に発売されたスポーツであった。
平凡なルノー12をクーペに変身させることは、おそらくルノー15/17の製造ライセンスを新たに取得するよりも簡単だったのだろう。ダチア設計による2ドアのスポーツは、低予算かつ後回しで開発されたモデルにありがちな、かなり不格好なプロポーションとなっている。スポーツの最もパワフルなモデルは1410で、1.4Lエンジンにより最高出力65psを誇った。

ラーダ・スプートニク/サマーラ(1984年)
ラーダ・サマーラは、当初は本国ロシア市場でスプートニクという名称で販売されていた。 同名の人工衛星は、地球軌道を3週間周回した後にバッテリー切れとなり、大地に降下したが、このクルマはロシアの販売チャートのトップに急上昇した。
スプートニク/サマーラは、ラーダとしては初めてフィアットの関与なしに開発されたモデルである。フィアットは、ラーダが前輪駆動モデルを製造することを望まなかったと言われているが、その理由は競争を恐れたためだ。ラーダは代わりにポルシェをコンサルタントとして迎え入れ、人気の高いフォルクスワーゲン・ゴルフを含むさまざまなモデルをベンチマークし、国際的に販売することを視野に入れてハッチバックを設計した。

ロシアでは、スプートニクは2012年まで製造が続けられた。西欧でも販売されたが、試乗した人々からは一様に、あまりにもベーシック過ぎるという評価を得た。


























