共産主義が生んだ奇抜なクルマ 21選 東欧メーカーの名車・珍車紹介

公開 : 2025.03.16 18:45

トラバント601(1964年)

旧東ドイツのトラバントは1964年、それまでの600の後継車種として、601を投入した。工場労働者でも購入できるベーシックな乗り物とされ、これといって画期的な点はない。2サイクル2気筒エンジンは先代と同じもので、ボディはデュロプラスト製であった。デザイン的には、洗濯機で縮んだプジョー404のような外観だ。

当局は1970年代初頭に601の後継車を投入する予定だったが、結果的にほぼそのままの形で1990年まで製造し続けた。1989年のドイツ統一後、トラバントの価値とイメージは急落。東ドイツの人々は、西側の高性能で近代的なクルマを手に入れられるようになり、トラバントには見向きもしなくなった。

トラバント601(1964年)
トラバント601(1964年)

これにより、東ドイツ中に放置された何千台ものトラバントを処分するという予期せぬ問題が発生した。ボディが金属製ではないため、従来の解体業者では引き取ってもらえない。一部では、家庭用の暖房燃料として溶かすという案も出たが、ある企業では、ボディをわずか20日で食べ尽くす細菌を開発するまでに至った。

ヴァルトブルク353(1966年)

旧東ドイツのヴァルトブルク353は、デザイン面ではそれまでの312と比較して大幅な進化を遂げている。1960年代後半に流行したスタイルに完璧にマッチした、直線的な外観が特徴的である。しかし、ボンネットの中身は旧態依然としていた。開発コストを抑えることに重点を置いていたため、最高出力45psの旧式の2ストローク3気筒エンジンを採用したのだ。

このため、西欧では販売が難しかったが、それでも1968年から1976年の間に、ヴァルトブルクは少なくとも2万台の右ハンドル車を輸出した。353はベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)ではタクシーとしても人気があり、西ドイツでも少数ながら販売された。ラインナップは拡大し、ワゴンとピックアップトラックも加わった。

ヴァルトブルク353(1966年)
ヴァルトブルク353(1966年)

353は、その長い製造期間中に外観が何度か変更されたが、2ストロークエンジンはベルリンの壁が崩壊するまで変わらなかった。ヴァルトブルクが2ストロークモデルの製造を終えたのは、1989年のことである。

ZAZ 966(1966年)

ウクライナのZAZが製造していた965は欠陥が多く、一から設計し直すことになった。そして1966年に登場したのが、965よりもはるかに優れた966だ。快適で広々としており、エンジンの冷却系統も改善されている。

966は、NSUプリンツとシボレー・コルベアの設計を融合させたような、リアエンジンの2ドア・セダンだ。1971年には968へとモデルチェンジしたが、これこそZAZがずっと探し求めていたデザインであった。968は1994年まで改良を加えながら製造が続けられた。V4エンジンを搭載した最後の量産車として知られている。

ZAZ 966(1966年)
ZAZ 966(1966年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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