共産主義が生んだ奇抜なクルマ 21選 東欧メーカーの名車・珍車紹介
公開 : 2025.03.16 18:45
ユーゴ(1985年)
米国ではユーゴという名称で知られているこのクルマは、1977年にザスタバ・コーラル(写真)として誕生した。フィアット127の発展型で、より角ばったデザインが特徴だ。東欧のクルマに対して好意的な一部の市場向けに開発されたモデルだが、もちろん米国はその中には含まれていない。
1968年にスバル・オブ・アメリカを設立した実業家マルコム・ブリックリン氏は、コーラルに可能性を見出した。同氏は、エコノミーカーとして輸入していたスバル360に代わる1980年代の新モデルとして、コーラルを導入することにした。ブリックリン氏は米国仕様車の開発を手助けし、それを「ユーゴ」と名付け、1985年に輸入を開始した。当初は非常によく売れたが、その成功は長くは続かなかった。

品質問題に悩まされたユーゴは、米国ではあらゆるジョークのネタにされた。結果的にユーゴ・アメリカは破産を申請し、1992年に販売終了した。
ダチアMD87(1987年)
1410スポーツはその名にふさわしいクルマとは言えなかったため、ダチアはフィアット X1/9の流れをくみ、高性能の低価格スポーツカーに挑戦した。そして1987年、ルノー12をベースに開発されたミドシップエンジン搭載の試作車MD87が誕生。このクルマに関する情報はほとんどないが、当時の写真を見ると、トヨタMR2とランチア037の設計を融合させたようなスタイルであることがわかる。
MD87の進化版であるMD87 Evoは、ポップアップ式ヘッドライトを備えた流線型のフロントエンドを採用し、より空力特性に優れたモデルとなっている。しかし、作られたのはそれぞれ1台のみ。いずれも1980年代後半以降に姿を消している。

スコダ・ファヴォリット(1987年)
ファヴォリットはスコダにとって、まったく新しい時代の幕開けとなったモデルだ。輸出市場を念頭に開発されたフロントエンジン&前輪駆動のFFレイアウトに、ベルトーネデザインのボディを載せた。そして、重要なのは、西欧の自動車メーカーからライセンス供与を受けて製造されたものではなく、スコダ社内で設計されたものだということだ。ファヴォリットは、スコダの競争力を世界に示し、東欧のクルマに対する汚名を返上した。
モデルラインナップには、4ドア・ハッチバック、ワゴン、ピックアップトラックがある。スコダは他にもクーペ、セダン、ホットハッチのバリエーションも検討したが、量産化のゴーサインは出なかった。



























