個性が強いフランスの高級車 19選 「独自路線」の成功と失敗

公開 : 2025.06.21 18:25

ルノー25(1983年)

ルノーは、新型『25』をトップクラスの高級車セグメントに位置づけていた。604とCXは旧式化が進んでおり、ドイツ車も手が届くところまで来ていた。これはルノーにとって、輝かしい成果を上げるチャンスだった。このプロジェクトに携わったデザイナーとエンジニアたちは、競合車と同等以上の走行性能を備えた、モダンで安全なクルマを開発するために、十分な予算を割り当てられた。

書類の上では、すべてが順調に進んでいた。しかし実際には、コスト削減策により信頼性の問題が発生し、初期のモデルには多くの不具合が見られた。ルノーの社長、レイモンド・レヴィ氏ですら、自身の所有する25が毎月のように故障していることを公に明かすという状態だった。1988年に外観とメカニカルの改良が行われたことで、25はなんとか持ちこたえた。

ルノー25(1983年)
ルノー25(1983年)

プジョー605(1989年)

『605』は、プジョーの電子化の先駆けであった。アウディBMWメルセデス・ベンツなどのドイツブランドと真剣に競争する同社にとって、これは高コストながらも不可欠なことだった。プジョーは当初、605に4気筒および6気筒ガソリンエンジンを用意した。当時の自動車評論家たちは、そのハンドリング、快適性、豪華なインテリアを絶賛した。購入者も同様だったが、不具合が目立ち始めると、その魅力はすぐに損なわれた。大急ぎで市場投入された605は、数多くの電気系統の問題に見舞われ、初期のモデルは頻繁に修理工場に持ち込まれる事態となった。

プジョーは何度かリコールを実施し、1993年モデルで問題を修正したが、その損害は甚大だった。信頼性の低さは、605の評判を大きく落としてしまった。当初の予測では、10年間で50万台販売できるとされていた。しかし、実際の生産台数は約25万台にとどまり、1999年に幕を閉じた。

プジョー605(1989年)
プジョー605(1989年)

シトロエンXM(1989年)

シトロエンのフラッグシップセダンは、滅多に出てこない。CXがデビューしてから15年後の1989年、シトロエンはまったく新しい『XM』を発売した。ベルトーネがデザインし、当時の欧州で最も未来的な外観を持つモデルの1つとなった。そこに、シトロエンの新しいハイドロニューマチックサスペンションが採用され、リアハッチを開けたときに乗員を風雨から保護するための13枚目の窓も装備された。XMは1990年、メルセデス・ベンツSLとフォードフィエスタを抑えて、欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

XMは、プジョー605と多くの部品を共有しており、同じ電気系統の不具合にも悩まされていた。生産工程でコスト削減を試みた結果、部品に不具合が発生し、初期モデルのオーナーは、サスペンションがスポーツモードから動かなくなる、エアコンが作動しない、ワイパーモーターが故障する、テールライトが点灯しないなどの数々の問題に見舞われた。

シトロエンXM(1989年)
シトロエンXM(1989年)

シトロエンは1993年からXMの信頼性を大幅に改善し、初期の車両を無料で修理するといった対応をとったが、悪評からの回復に苦戦した。それでも、2000年まで生産は続いた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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